精神障害の診断と統計マニュアル
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反精神医学活動家は、同じAPAの大会に抗議し、標語や知的基盤を共有した[21][22]
DSM-III (1980年)

1974年、DSMの新しい改定版を作成するという決定がなされ、ロバート・スピッツァーが特別委員会の委員長に選出された。きっかけは、DSMの用語集を世界保健機関が出版する疾病及び関連保健問題の国際統計分類(ICD、International Statistical Classification of Diseases)と一致させるというものであった。この改定版は、スピッツァーと彼の選出した委員会のメンバーの影響力と管理の下で、はるかに広い委任となった[23]。ひとつの目標は、有名なローゼンハン実験を含む多くの批判を受けて精神医学の診断の均一性と信頼性を改善するというものであった。精神医学的な診断が欧州とアメリカ合衆国で著しく異なっていたことを示した研究の後に、アメリカと他の国とで標準的な診断の実施の必要性も存在した[24]

この基準では、主にセントルイス・ワシントン大学 とニューヨーク州精神医学研究所(英語版)における研究志向的な精神医学のグループによって開発されていた研究診断基準(RDC)とフェイナー基準(英語版)から、多くの精神障害が採用された。他の診断と、障害の新しい分類の可能性は、スピッツァーを委員長して委員会の一致によって認められた。重要な目的は、病因学的な仮説よりも、口語の英語による記述的な言葉遣いに基づく分類であるが、その分類手法は特定の基礎病理を反映した分類では、それぞれの固有の症状の様式を想定している。精神力学生理学の見解は破棄され、規制立法のモデルをとった。新しい「多軸評定」は、単なる診断よりも統計的な集団調査により適するようにと意図された[17]人格障害は、精神遅滞と共にII軸に位置づけられた[14]

最終的に1980年に出版されたDSM-IIIは、494ページと265の診断カテゴリーを挙げた。国際的に広く急速に用いられ、精神医学における革命あるいは変革と呼ばれた[17][18]。一方で、ロバート・スピッツァーは、後にアダム・カーティス(英語版)とのインタビューで、自らの仕事を批判し、深刻な精神的な問題のないであろう人口の20?30%の医療化につながったことに言及した[25]

DSM-IIIができると、アメリカでもイギリスでも、(抗うつ薬プロザックの)イーライリリーが資金援助を行い、アメリカではうつ病を啓発するために小冊子800万部とポスター20万枚が配布された[26]
DSM-III-R (1987年)

1987年、DSM-III-RがDSM-IIIの改定版として出版され、これはスピッツァーが監督したものである。カテゴリーは改名また再編され、基準には大きな変更があった。6つのカテゴリーが削除され他のものが追加された。議論となった診断は、月経前不快気分障害(pre-menstrual dysphoric disorder)と自虐的人格障害のようなものであり、検討され破棄された[17][27]。DSM-III-Rは総計して292[28]の診断を含み、567ページの長さであった[29]
DSM-IV (1994年)

1994年、DSM-IVが出版され、886ページ中に374[28]の障害が挙げられた。編集委員会の委員長はアレン・フランセスであった。4人の心理学者を含めた27人での運営委員会が導入された。この運営委員会は、5 - 16人からなる13の作業グループを形成した。各々の作業グループには、約20人の助言者が居た[要説明]。この作業グループは、3段階の工程を実施した:最初に、各々のグループは、広範な文献レビューを行う;次に、研究者からデータを要求し、保守的に受けると共に基準が変更を要するかの決定を分析する;最後に、臨床診療の診断に関連する他施設実地試験を行った[30][31]
DSM-IV-TR (2000年)

2000年には、DSM-IVの「テキスト改訂版」(text revision)が出版され、DSM-IV-TRとして知られている。診断カテゴリーと診断のための大部分の基準に変更はなかった[32]。各々の診断における追加の情報の一節と、ICDとの整合性を保つための診断コードが更新された。5軸からなる体系をまとめた。第1軸は臨床的障害を取り入れる。第2軸はパーソナリティ障害精神遅滞を取り扱う。残りの軸は、医療的な評価のための診断基準の機能的な必要性に応じ、医学的、心理社会的、環境的、また幼少期の要因を取り扱う。DSM-IV-TRは374[28]の診断を含み、943ページの長さであった。

DSM-IIIでは主要な診断名の有病率が著しく高く報告されるようになり、過剰診断を促していると批判されたため、DSM-IVでは7割以上の診断基準に「著しい苦痛または社会的、職業的、その他の領域での機能の障害を引き起こしている」という項目を追加した[33]。しかし、その後も主要な製薬会社は強力なマーケティングを展開し、アメリカでは精神障害の罹患率が毎年上昇し続け、注意欠陥多動性障害が3倍、自閉症が20倍、子供の双極性障害が40倍、双極性障害は2倍となり[34]。伴って処方箋医薬品による死亡が違法薬物によるものを超えることとなった[34][35]デイヴィッド・ヒーリーは、製薬会社が主導する双極性障害の流行を告発する『マニア:双極性障害の小史』を書いた[36]。2010年には国連子どもの権利委員会(英語版)が、ADHDが薬物治療されるべき障害とされていることを懸念し、診断数の監視や調査研究が製薬会社と独立して行われるようにと提言している[37]経済協力開発機構(OECD)は、抗うつ薬の使用の上昇が適切であるか懸念が持ち上がっているとして、過剰処方が指摘されている[38][39]。次のDSM-5において定義が変更されることが判明した結果、APAに対して根拠に基づく医療の方法を用いて再調査を行うべきという50の精神福祉団体による請願が出された[40]。一方で、APAはそれに関して声明を出していない[34]
DSM-5 (2013年)

DSMの第5版、DSM-Vは2012年12月1日に、アメリカ精神医学会(APA)の理事委員会にて承認され[41]、2013年5月18日に公開された[42]


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