粟田貴也
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あわた たかや
粟田 貴也
生誕 (1961-10-28)
1961年10月28日(62歳)
日本 兵庫県神戸市
出身校神戸市外国語大学(中退)
加古川東高等学校
職業実業家
活動期間1985年 - 現在
著名な実績【創設】トリドール二番館
丸亀製麺
「とりサブロー」
「肉のヤマキ商店」
「コナズカフェ」
「かつ丼 トンテキ 豚屋とん一」
「ラー麺ずんどう屋」
純資産1600億円(2023年8月時点)
テレビ番組「ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!
坂上&指原のつぶれない店
ひるおび!
カンブリア宮殿
ソレダメ!?あなたの常識は非常識!??
肩書き代表取締役社長
公式サイトトリドールホールディングス Official Site
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映像外部リンク
カンブリア宮殿 座右の銘【トリドール ホールディングス 社長 粟田貴也 氏】 - YouTube
「丸亀製麺」運営のトリドールHDがグローバルフードカンパニーになるまでの舞台裏とは?【粟田貴也×山中哲男 対談】 - YouTube

粟田 貴也(あわた たかや、1961年10月28日 - )は、日本実業家トリドールホールディングス創業者・代表取締役社長兵庫県神戸市生まれ。2023年8月時点で、保有資産1460億円以上のビリオネアである[1]
人物・来歴

1961年兵庫県神戸市生まれ。父は兵庫県警察警察官で、母と2歳上の兄の4人家族。

3歳のときに加古川市へ転居し、中学校に進んだ頃に父がくも膜下出血で死去。母が内職で家計を支えながら加古川東高等学校を卒業。兄も警察官になった[2]

1981年神戸市外国語大学入学。1年のときに本屋で立ち読みした雑誌に神戸でケーキを売る菓子屋店の社長が外国製の愛車と映っている記事を読んでケーキ職人を志した[2]。同級生に株式会社バルニバービ創業者の佐藤裕久がいる。佐藤が1年生で作ったサークルに粟田が入部した[3]

店を持とうと、1982年大学を中退[4]。新聞の求人欄で給料が最も高いところを探すと「月収50万円」というトラック運転手の募集があり、早朝から深夜まで働いた。気が付くと貯金が600万円になっていた。日付が変わった深夜に寝泊まりしてたトラックターミナルの近くに軽トラックがきて、若い男女が車で居酒屋をやっていた。店を営むその2人の会話で癒されてくなか「憩いの場」を作りたいと居酒屋へ夢が転じる[2]

1985年8月に運送会社トラック運転手として開業資金を貯め、トリドール三番館を創業。粟田が子供の頃から育った加古川市で国鉄(現JR)の駅に近い路地に開いた[2]。同時に幼馴染の女性(大型居酒屋チェーンで修行していた頃に偶然の再会)に求婚、結婚。粟田は妻に「店を一緒にやろう!生涯に焼鳥屋を三店持ちたい」と話し、“トリドール三番館”と命名した[5]

1990年有限会社トリドールコーポレーション代表取締役社長[2]

1995年10月、株式会社トリドール(現株式会社トリドールホールディングス)へ組織変更し、同社代表取締役社長に就任[2]

30代後半に父の故郷の丸亀市に立ち寄った。当時、愛媛県で野菜作りに有機肥料を使っている人を知り、そこで焼き鳥店で串に刺すタマネギの栽培を始めた。その畑を視察した帰りだった。その際、行列のできる店に遭遇、それが香川特産の讃岐うどんだった。そのことがキッカケに2000年11月「丸亀製麺」1号店を加古川市に開店。名前の由来は「父の故郷の丸亀と、長寿の象徴の鶴亀の亀に丸というのが縁起がいい」ということから付けられた[6]

2003年9月末、JR神戸駅に近い商業ビルの地下1階のフードコートにセルフ式讃岐うどん丸亀製麺を開業。当時は調理済みの料理を温めて出すだけの「安い」「早い」の店ばかりだった。「これなら勝てる」と決断した。2004年1月、鳥インフルエンザの影響で焼き鳥屋から緩やかに、うどん屋へシフトチェンジ。当時の店舗の3分の2が焼き鳥、売り上げは半分を占めていたが、2007年3月期の連結決算の売上高108億8,500万円のうち「丸亀製麺」は41億6,600万円と4割近くに達し、焼き鳥系を初めて上回る[6]。7年で74店に達し業容を拡大した[2]

2006年2月に東証マザーズ市場へ上場。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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