粉ミルク
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歴史上の最初の記録は、13世紀クビライ・カーン時代のモンゴル軍について書かれたマルコ・ポーロの著作の中にあるものとされ、それによるとモンゴル騎兵(タタール)は日干しした上澄みミルクを軍用食として携行しており、摂食時は水を加えて糊のようだったと描写されている。乳製品を食生活の基本とする遊牧民族の間では古くから馬乳ないし山羊乳の乾燥粉末が用いられていたようである。このタタールと歴史的に関係が深かったロシアで現在に通じる粉ミルクは誕生する事になった。

近代的な粉ミルクの製造過程は1802年にロシア人医師のO.クリフスキーによって発明され、最初の商業化生産は1832年にロシア人化学者のM.ドゥリコフによって確立された。1855年にアメリカのT.S.グリムワードが粉ミルク製造の特許を取得したが、それを遡る1837年以降にはイギリスのW.ニュートンが真空乾燥技術の特許を保有していた。粉ミルクは19世紀に発明された[4]。粉ミルクが出来るまで、母乳の飲めない状況に置かれた乳児が生き延びる事は困難だった[5]
粉ミルク産業への批判

発明以来、粉ミルクに対する需要は拡大し、これに応える形で粉ミルク産業も成長していった。粉ミルクは母乳が出る母親にまで売り込まれることになっていく。

1960年代から1970年代にかけて、粉ミルク産業の多国籍企業は発展途上国への販路拡大を図ったが、その中に公正ではない広告・販売手法が含まれると指摘された[注釈 1]。また、発展途上国では水や食品保存の衛生状態に問題があることが加わって、粉ミルクが乳児の死亡率を大きく高めた。1975年ころからは世界保健機関(WHO)などが粉ミルクへの過度の依存を警告を出すようになった[4]

1981年、WHOとユニセフによって「母乳代用品の販売流通に関する国際規準」(通称「WHOコード」)[注釈 2]が採択された[4]。「母乳代替品を病院で販売することの禁止」「粉ミルクを理想化したような表示の禁止」「医療機関や保健施設に対する粉ミルクの無償提供の停止」「会社派遣の栄養士・看護師を使って販売促進活動の禁止」などが挙げられている。

多国籍企業の販売戦略に関しては、とくに国際シェア最大のネスレ社が批判を集め、1977年以来不買運動が展開されている。1984年、ネスレがWHOコードを受け入れ、病院に粉ミルクを売り込むのをやめることで不買運動は終息したが[7]、1988年、ネスレが病院で粉ミルクを無料配布していることが分かり不買運動が再開された[7]ネスレ・ボイコット参照) 。
日本における粉ミルクの歴史

1917年、東京の和光堂薬局(後の和光堂[注釈 3])が加糖全脂粉乳の「キノミール」を製造[8]。これが日本最初の(育児用)粉ミルクとされる[8]。以後、各社でさまざまな粉ミルクが製造・販売されており、現代まで続くブランドもある。

1921年 - 日本練乳(現在の森永乳業)が「森永ドライミルク」を製造開始[9][注釈 4]

1922年頃 - 糧食研究会の鈴木梅太郎が育児用粉乳「パトローゲン」を開発[11]。育児用としてオリザニンビタミンB1)を加えた[12]

1923年 - 東京菓子(現在の明治[注釈 5])が「パトローゲン」販売開始[13][12]。1932年には製造権も譲渡される[11]

1941年、牛乳営業取締規則に「調整粉乳」の品質規格を設定した。ただし、実際に規格が普及し始めたのは、第二次世界大戦終結後の1950年代からと言われる。

1951年 - 雪印乳業(現在は雪印ビーンスターク)が「雪印ビタミルク」(後の「雪印ネオミルク」)を製造開始。

1951年 - 明治乳業、「ソフトカード明治コナミルク」発売[13][12]

1955年 - 粉ミルクにヒ素が混入される森永ヒ素ミルク中毒事件が起きた。

1959年 - 厚生省令に糖類等を加えて母乳組成に近づけた「特殊調製粉乳」の規格を追加。

1962年 - 日本ワイス(現在のアイクレオ[注釈 6])が「SMAミルク」を発売(製造は1989年まで中央製乳[14][注釈 7]

1980年代からは母乳の成分分析結果をもとにして、各種微量成分が徐々に配合されるようになり、現在のようななるべく母乳に近い成分の製品が作られるようになった。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1970年後半には、発展途上国で、粉ミルクのメーカーが、販売員に白衣を着せるなど、粉ミルクが母乳より優れているかのようなイメージを与える広告を行っていた。これによって粉ミルクを販売することで乳児の死亡率が高まっていることに批判が集まり、粉ミルクの国際的なシェアが49%あったネスレ社の製品の不買運動へと発展した[6]
^ International Code of Marketing of Breast-milk Substitutes. 「母乳代替品の販売促進に関する国際基準」「母乳代用品のマーケティングに関する国際規準」などとも。
^ 2017年にアサヒグループ食品に吸収され解散、ブランド名として存続。


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