篠崎五郎
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戊辰戦争において奥羽鎮撫使護衛として従軍し、羽州各地に伝令使として転戦した[4]

明治5年(1872年)、警視に任官。その後検事鎮台二等大尉を歴任。1874年台湾出兵に徴集隊指揮副長として従軍。1875年宮崎県十三等出仕となる。以後、兵庫県二等警部、同一等警部、兵庫県書記官、同大書記官などを歴任[2]

1885年4月、新潟県令に就任。1886年7月、地方官官制改正に伴い同県知事となる。当時、新潟県は全国一の町村数であったため、市制町村制の施行に向けて「市町村制実施取調委員」を設け、町村数削減に尽力した[5]1889年12月26日、知事を非職となる[6]1891年4月、島根県知事に就任[7]1893年3月21日、知事を非職となる[8]1898年1月、愛媛県知事に就任[1]。道路橋梁等が前年度の風水害で大きな被害を受けたため、予算編成ではそれらの大規模改修に重点を置き、新規事業は見送った。同年12月22日、依願免本官となり退官した[9]

その後、牛尾金山会社長となった。1909年8月、鹿児島湾桜島温泉で病死した[2]

なお、薩摩琵琶の振興に尽力した[10]
栄典・受章・受賞
位階


1885年(明治18年)6月5日 - 従五位[11]

1893年(明治26年)6月20日 - 正四位[12]

勲章等


1889年(明治22年)11月29日 - 大日本帝国憲法発布記念章[13]

1892年(明治25年)6月29日 - 勲四等瑞宝章[14]

脚注^ a b c 『新編日本の歴代知事』916頁。
^ a b c 『明治過去帳』新訂初版、1123頁。
^ 鹿児島市(1970) p.1079
^ 「篠崎五郎特旨叙位ノ件」
^ 『新編日本の歴代知事』399頁。
^ 『官報』第1951号、明治22年12月27日。
^ 『新編日本の歴代知事』780頁。
^ 『官報』第2915号、明治26年3月22日。
^ 『官報』第4646号、明治31年12月23日。
^ 『幕末維新大人名事典』上巻、628頁。
^ 『官報』第578号「賞勲叙任」1885年6月6日。
^ 『官報』第2992号「叙任及辞令」1893年6月21日。
^ 『官報』第1932号「叙任及辞令」1889年12月5日。
^ 『官報』第2703号「叙任及辞令」1892年7月2日。

参考文献

歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。

秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。

大植四郎編『明治過去帳』新訂初版、東京美術、1971年(原著私家版1935年)。

安岡昭男編『幕末維新大人名事典』上巻、新人物往来社、2010年。

「篠崎五郎特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A12090013300 

鹿児島市史編さん委員会『 ⇒鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年。 ⇒http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-03.html。 










新潟県令・知事(官選第4代:1885-1889)


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