1953年(昭和28年)の台風13号、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風では篠島も甚大な被害を受けた。1957年(昭和32年)には離島振興法の第7次指定地域となり、日間賀島・佐久島とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた[29][注 7]。1961年(昭和36年)6月1日、内海町・豊浜町・師崎町の本土3町と篠島村・日間賀島村の離島2村が合併して南知多町となった[18]。かつては水不足に悩まされたが、1973年(昭和48年)に齋藤進らによって本土の愛知用水から日間賀島・篠島まで海底水道が伸び、真水を必要とするノリ養殖業が盛んとなるとともに[25]、民宿が増加して観光地化が進んだ[12]。1973年時点の面積は0.68km2だったが、1974年(昭和49年)から島北部で本島と属島ふたつ(中手島・小磯島)を繋ぐ0.17km2の埋め立て工事が行われ[1]、1977年(昭和52年)には0.93km2まで拡大した[10]。埋立地一帯は魚介類が豊富な漁場だったが、島の総面積の25%にも相当する埋立地造成計画は大きな反対もなく進められ、造成地には旧来からの一等地よりも高値がついた[30]。
1958年(昭和33年)4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている[29]。いわゆる平成の大合併の際には南知多町・美浜町の任意合併協議会が設置されたが、南セントレア市という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった[31][32]。現在の電気・水道・電話の普及率は100%であり、2002年(平成14年)からし尿と廃棄物の処理は知多半島で行なっている[1]。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、愛知県は三河湾三島で「あいちの離島80日間チャレンジ」[注 8]という離島観光振興キャンペーンを行なった[33]。篠島には34歳の女性フリーライターが80日間滞在し、漁師をメインに据えたPR雑誌の制作などの活動を行なった[34][35]。2012年(平成24年)10月には佐久島に滞在していた女性イラストレーターが3島それぞれのゆるキャラのデザインを担当し、篠島特産のシラスをモチーフにした「しらっぴーな」がお披露目された[36][注 9]。
行政区画の変遷[ソースを編集]
三河湾の有人島3島の行政区画の変遷
郡明治22年以前明治22年-昭和28年昭和29年-昭和35年昭和36年-平成22年平成23年-現在
知多郡日間賀島村日間賀島村昭和36年合併
南知多町
篠島村篠島村
幡豆郡佐久島村佐久島村昭和29年合併
一色町平成23年合併
西尾市
交通[ソースを編集]小型フェリー「しまゆり」
島外との定期航路の運航が開始されたのは1893年(明治28年)である。
島外との交通[ソースを編集]
名鉄海上観光船
■高速船 師崎 - 篠島 - 日間賀島 - 師崎(1日36便)■高速船 河和 - 日間賀島 - 篠島 - 伊良湖(1日11往復、8往復は篠島止)■カーフェリー 師崎 - 篠島(1日6往復)
名鉄海上観光船が知多半島や渥美半島と篠島港の間に高速船とカーフェリーを運航している[37]。南知多町の師崎港と日間賀島東港・日間賀島西港・篠島港を結ぶ定期高速船は「師崎-篠島-日間賀島-師崎」の順に巡り、師崎港から篠島港まで約10分である。2012年(平成24年)4月1日のダイヤ改正後、始発便は師崎を6時台に出港し、最終便は篠島を19時台に出港する[37]。美浜町の河和港と日間賀島西港・日間賀島東港・篠島港・伊良湖港を結ぶ定期高速船は、河和港から篠島港まで約30分である。2012年4月1日のダイヤ改正後、始発便は河和を7時台に出港し、最終便は篠島を17時台に出港する[37]。