篠島
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島の周囲には木島、小磯島、大磯島、築見島、中手島、野島、松島、戸亀島、平島の計9の無人島が属島として存在したが[11][注 4]、現代の埋め立て工事によって小磯島と中手島は篠島本島と陸続きとなった[12]。かつて築見島は干潮時に篠島とひと続きだったとされており[11]、小磯島・中手島・築見島の3島を浦磯3島という[13]。中手島にはおんべ鯛の調製所があり、島自体を伊勢神宮が所有・管理している。

篠島の南0.8kmにある野島は面積0.03km2の無人島であり、篠島小学校がサバイバルキャンプなどに利用していたことがある[6]。野島には篠島の属島では唯一、灯台(野島灯台)と社(野島神社)が設置されている。野島灯台は1957年(昭和32年)12月に初点火されたものであり、野島神社は7月の野島祭の際に信仰の対象となる[14]。篠島の北西0.2kmにある木島は面積0.03km2、最高標高36mの無人島である[6]

1958年(昭和33年)に三河湾一帯が三河湾国定公園に指定されると、名古屋鉄道は篠島一帯を海上動物公園にする構想を示した[15]。観光に加えて日本モンキーセンターの繁殖研究をも目的とし、木島にはカニクイザルが、築見島にはアヌビスヒヒが、野島にはニホンザルが放された[16][6]。無人島の築見島には年間数千人の観光客が来島し、これらのサルは1974年(昭和49年)まで飼育された[16][6]
人口[ソースを編集]

江戸時代後期にまとめられた尾州徇行記による人口は584人であり、同史料で938人の日間賀島よりも少なかったが、1874年(明治7年)には1,006人、1891年(明治24年)には1,562人と、1世紀余りの間に人口が3倍近くに増加し[17][18]、日間賀島の人口を上回った。その後も人口は増え続け、1950年(昭和25年)には過去最大値の3,785人を記録[2]。その後は1960年(昭和35年)の国勢調査で3,403人、1970年(昭和45年)の調査で2,807人、1980年(昭和55年)の調査で2,576人、1990年(平成2年)の調査で2,352人、2000年(平成12年)の調査で2,039人、2010年(平成12年)の調査で1,763人と減少が続いている[18]。2000年調査での高齢者人口比率は22.6%だったが、2010年調査では29.4%に大きく上昇した[18][2]。2000年調査による人口密度は2,192人/km2であり、日間賀島(2,882人/km2)、池島(長崎県、2,641人/km2)に次いで日本の離島中第3位だった[19][注 5]世帯数 / 人口

1792年(寛政4年)-1822年(文政5年)頃
家数130・人数584尾州徇行記[17]
1874年(明治7年)
戸数267・人数1,006南知多町[18]
1891年(明治24年)
戸数285・人数1,562角川日本地名大事典[17]
1930年(昭和5年)
468世帯・2,374人国勢調査
1950年(昭和25年)
669世帯・3,785人


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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