篠島
篠島の空中写真(2010年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
篠島(しのじま)は、三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県知多郡南知多町に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる[3]。2015年(平成27年)の国勢調査における人口は1,653人、世帯数は622世帯である[1]。日間賀島・佐久島と合わせて「三河湾三島」または「愛知三島」[4]などと呼ばれる。古くから伊勢神宮との関係が深く、三節祭には干鯛(御幣鯛)の神饌が行なわれる。 三河湾三島の中ではもっとも沖合に位置し、知多半島の師崎と渥美半島の伊良湖岬を結ぶ線上に位置する。北約3kmの距離に日間賀島(南知多町)が、北東約7kmの距離に佐久島(西尾市)があり、南知多町の本土との最短距離は約3kmである[1]。知多半島・渥美半島との距離がそれぞれ10km以内と近く、また本土との生活交流が活発なため、国土交通省による離島分類では内海本土近接型離島にあたる[注 2]。面積は0.94km2であり、佐久島の約半分、日間賀島の1.2倍である。島の周囲は豊かな漁場であり、篠島港の突堤はクロダイの釣り場となっている[3]。篠島と日間賀島の間には構造線が走っているため、三河湾三島の中で篠島だけ地質が異なり、領家帯花崗岩から成る[5][2]。三河湾は平均水深約9.2mの浅い湾だが、構造線に沿って水深約40mの深みがある[5]。 中央部には49.1mの最高標高地点があり、この場所は三河湾三島の中でもっとも高い地点である[6]。東岸には「さんさんビーチ」と呼ばれる天然の渚があり、緩やかな弧を描いて800m続いている。中央部の丘陵地には家屋が密集しているが、これまでに大火事の記録はない[7]。北部には島民が「五万坪」と呼ぶ埋立造成地があり[注 3]、造成地の南側には碁盤の目状に区切られた土地に住宅や民宿などが、北側には9ホールのゴルフ場跡などがある[8]。ゴルフ場跡は荒地となっているが、観光振興ゾーンとして整備される予定である[9]。 小島が点在する篠島一帯は、その風光明媚な景観から「東海の松島」と呼ばれ[10][3][6]、本島から西方の松島方向を見た際の景色が「日本の夕陽百選」に選出されている[6]。島の周囲には木島、小磯島、大磯島、築見島、中手島、野島、松島、戸亀島、平島の計9の無人島が属島として存在したが[11][注 4]、現代の埋め立て工事によって小磯島と中手島は篠島本島と陸続きとなった[12]。かつて築見島は干潮時に篠島とひと続きだったとされており[11]、小磯島・中手島・築見島の3島を浦磯3島という[13]。中手島にはおんべ鯛の調製所があり、島自体を伊勢神宮が所有・管理している。 篠島の南0.8kmにある野島は面積0.03km2の無人島であり、篠島小学校がサバイバルキャンプなどに利用していたことがある[6]。野島には篠島の属島では唯一、灯台(野島灯台)と社(野島神社)が設置されている。野島灯台は1957年(昭和32年)12月に初点火されたものであり、野島神社は7月の野島祭の際に信仰の対象となる[14]。篠島の北西0.2kmにある木島は面積0.03km2、最高標高36mの無人島である[6]。 1958年(昭和33年)に三河湾一帯が三河湾国定公園に指定されると、名古屋鉄道は篠島一帯を海上動物公園にする構想を示した[15]。観光に加えて日本モンキーセンターの繁殖研究をも目的とし、木島にはカニクイザルが、築見島にはアヌビスヒヒが、野島にはニホンザルが放された[16][6]。無人島の築見島には年間数千人の観光客が来島し、これらのサルは1974年(昭和49年)まで飼育された[16][6]。 江戸時代後期にまとめられた尾州徇行記による人口は584人であり、同史料で938人の日間賀島よりも少なかったが、1874年(明治7年)には1,006人、1891年(明治24年)には1,562人と、1世紀余りの間に人口が3倍近くに増加し[17][18]、日間賀島の人口を上回った。
地理
渥美半島の大山から望む篠島と対岸の知多半島
埋め立て造成地の「五万坪」
篠島漁港
属島万葉の丘より松島を望む
海によって隔てられている属島
木島、大磯島、築見島、野島、松島、戸亀島、平島
本島と陸続きになった属島
小磯島、中手島
人口