篠原ともえ
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2016年3月13日、初代の青梅市親善大使に任命され[7] 公式キャラクター「ゆめうめちゃん」をデザイン。

2017年には鳥取県の観光PR「星取県」のプロジェクトのシンボルマークをデザイン。「星取県スター大使」にも就任した[8]。同年、東京都水道局ペットボトル『東京水』では新デザインのアドバイザーとして参加。

2018年、アッシュペーフランス主催のファッションとデザインの合同展示会「rooms EXPERIENCE 37」にて、幼少期から描いた約150枚のデッサンを初公開した[9]。翌年、空間のアートディレクターを担当した池澤樹と結婚[10][11]

2019年、母校のオープンカレッジに再び通う[12]
2020年代

2020年、アートディレクターの池澤樹とクリエイティブスタジオ株式会社「STUDEO」を設立。

2021年、日本タンナーズ協会からオファーを受けデザイン・ディレクションした革アクセサリーが国際的な広告賞ニューヨークADC賞「The ADC Annual Awards」にて、ファッションカテゴリーにおけるトラディショナル・アクセサリー、イノベーションの2部門でメリット賞を受賞[13]

2022年、大阪市新今宮駅前にオープンするホテル「OMO7大阪 by 星野リゾート」のスタッフ用ユニホームのデザインおよび製作監修を手掛ける[14]。同年、デザインを手掛けた革の着物の作品“ザ レザー スクラップ キモノ(THE LEATHER SCRAP KIMONO)”が第101回ニューヨークADC賞でシルバーキューブとブロンズキューブの2冠を達成[15]

2024年、イギリス・ロンドンにあるサマセット・ハウスのエンバンクメント・ギャラリーにて開催された「CUTE」展にて、90年代に本人がデザイン・着用していたシノラーファッションの衣装やアクセサリーが、ポップカルチャーを紹介する一角に展観された。
人物
シノラー

1996年夏から1999年頃にかけて、個性的な篠原のファッションを模倣するティーンエイジャーの女性が数多く現れ、一種のファッションリーダーと化した。「シノラー」と呼ばれるファンを多く抱え、子供や女の子だけにとどまらず男女・年齢問わず男シノラーや親父シノラーが登場するなど社会現象となる。この流行に疎く、これを正確に捉えることができなかったメディアの誤用により、シノラーという言葉が篠原自身の愛称として使用されるようになった。篠原本人のポーズや「クルクル!」「プリプリ!」等、ファッション以外にも言動もシノラー要素となる。シノラー初期は篠原自身が衣裳を制作していたが、スタイリストがついてからは篠原がデザイン画を描くことでオリジナル性のある衣裳を作っていた。
シノラーファッション

シノラーファッションの構成要素は、お団子頭とぱっつん前髪、原色の服(初期はSUPER LOVERS)、ハーフパンツにサスペンダー、くしゃくしゃ靴下にごつごつとした靴(初期はドクターマーチン)、顔に星などのシールを貼り、100円ショップで売っているキラキラしているアクセサリー、なわとびで作った腕輪と目玉指輪、縁日露店で売っている腕パッチン(篠原曰く「ミラクル・パッチン」)と腕時計を二つ、動物キャラクターなどのポシェットをつけ、髪にはモールや、ウサギ帽子などを被り、羽を付けたランドセルなど。原色を多用しランダムに身に付ける。メイクは黒髪、ナチュラルな太眉であるのも特徴。その後パンクスタイルのパンクシノラーや子供服をアレンジしたチャイルドシノラー等、様々なアレンジもされている。トレードマークのお団子頭は事務所に所属する前に「自分が一番伝わるスタイル」と自分で考え出したもの[16] で、前髪パッツンは切ると気合が入るから[17]
シノラーグッズ

シノラーグッズは篠原本人がデザインをしたもので「シノラー人形」やビニール素材のダッコちゃん人形風の「しのタコ」といった商品もライブ会場で発売された。「シノラー人形」は初期のシノラーバージョンと、後期のうさぎシノラーバージョンの二種類があり、フジテレビ『HEY!HEY!HEY!』の出演の際には松本人志にプレゼントしたシノラー人形を投げられている。「しのタコ」は類似コピーされたものが縁日等でも売られ天才バカボンとシノラーを組み合わせた「シノラボン」等のグッズも当時、販売されていた。
シノラーものまね

フジテレビ笑っていいとも!』のコーナーテレフォンショッキング出演時には「全国シノラー選手権」が開催され、全国からシノラーファッションの若者から大人が集まり、グランプリの男シノラーには篠原本人から腕輪を授与された。フジテレビクイズ番組『カルトQ』ではシノラーが題材となり、全国から参加した若者がシノラーの知識を競い合った。お笑い芸人がしばしばネタにすることもあり、1996年12月24日放送回の『第19回笑っていいとも!クリスマスイブ特大号』ではナインティナイン矢部浩之がものまねを披露。2000年10月3日放送回フジテレビ『ものまね王座決定戦』ではダチョウ倶楽部がものまねしており、2011年11月24日放送の『アメトーーク』「泥の97年デビュー組芸人」の回ではレイザーラモンRGが番組エンディングシーンにシノラーファッションで登場し、2012年2月23日放送『ゴッドタン』「第9回芸人マジ歌選手権SP」では森三中大島美幸黒沢かずこが「サーブスブランド」としてオリジナル曲「ふるふるフルパワー」をシノラーファッションで披露している。2013年日本テレビ系『徳井と後藤と麗しのSHELLYが今夜くらべてみました』で篠原本人のスタイリングで出演者のSHELLYが「シェリラー」として完璧なシノラーファッションを再現した。芸能界での元シノラーは、森三中大島美幸女王蜂のアヴちゃん(ボーカル)・や倉木麻衣森泉等が公言している。
多様な趣味嗜好

中学3年の時に放送委員会でナレーション、出演、脚本を手がけた学校紹介ビデオを作り、中学生ビデオコンクールコンテストで1位に表彰されている。

高校3年の時に地域産業組合
ポスターデザインのコンテストで全国1位で表彰されている。

高校生時代から根っからの Macユーザーであり、2012年までに6台のMacを所持していた。

服飾の学校を卒業し複数の資格も保有していることから(前述)、服飾に関する専門的な知識を有している。このため、近年の番組やライブ出演用の衣裳やアクセサリー等は、自らデザイン・生地の調達・縫製を手がけており、2013年までに製作した自分用の衣裳・アクセサリーは60点以上におよび公式サイトで衣装制作行程などを公開している[18]

自身のライブで、ポータブル・シンセサイザー OP-1やMC-303、ループマシンを使用したパフォーマンスを行い、他のアーティストなどから注目を浴びた[19]

母方の曾祖母は伊豆諸島青ヶ島の最高巫女といわれた廣江のぶゑ[20]。2010年12月5日には本人の念願であった青ヶ島での無料凱旋ライブを行い、青ヶ島当時人口約177人のうち150人を会場に集め無料ライブを開催、翌日には子供達に星座を説明する星空観望会を主催した。この模様は天文ガイド2011年3月号で紹介された[21]。青ヶ島の公式サイトには本人による星空解説がリンクされている[22]。また、2013年5月には青ヶ島を取り上げたドキュメンタリー番組・NNNドキュメント'13「おもうわよう 東京の孤島に魂が帰る」(日本テレビ、2013年5月20日(5月19日深夜))でナレーションを務め、離島での人々の暮らしを紹介するとともに、祖母とともに先祖の墓参りを行う様子などで一部自らも出演した。

星を見るのが大好きで[21]、高校時代は天文部に所属していた[21]誠文堂新光社発行の天文雑誌『天文ガイド』2008年2月号の不定期連載記事「星空FAN!」に登場したのがきっかけでプライベートでは日食月食流星等の観測をするようになった[21]。天文ガイド2011年3月号・4月号では篠原自身が登場した特集記事「篠原ともえさんと星降る夢の楽園・青ヶ島へ」が掲載された[21]


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