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沖縄の箸詳細は「赤黄箸」を参照

沖縄の食堂などでは手元を赤、箸先を黄色に塗った竹塗箸の赤黄箸が用いられている[15]
中国象牙製の箸

中国では、南北朝時代まで青銅製の箸が用いられたが、その後代には重金属毒性を避けて使われなくなった。中国では、家族や来客に自分の箸で大皿から取り分けるのが親愛の情の表現とされてきた。このため日本よりも長めの箸が使われるとされる[16]。先もその反対側も若干細くなっているが、日本の箸に比べてそれほど細くはなっていない。円柱型や四角柱型が多く、また四角柱型のものも、食べ物を挟む部分はたいてい円柱型をしている。最も高級なものは翡翠象牙を用いるが、普通は竹や木を用いる。またプラスチック製の箸を用いることもある。現在は日本向けの割り箸を中国で製造してきた影響や衛生意識の向上から、中国でも割り箸が広まってきているが黒竜江省など中国東北部白樺など森林資源の乱伐が懸念されている[17](「割り箸#諸問題」も参照)。おかず類に箸を使い、ごはんや汁類に散蓮華を使う[18]

中国では「?子(kuaizi, クァイツ)と呼ばれ、日本で用いられる「箸」(zhu, チュ)という語や漢字は現在も?語(びんご、広義の福建語)では口語として用いられる(?仙語の対照表を参照)が、基本的に古語である。「?子」はの頃、「立ち止まる」という意味の「住」や「佇」と同じ発音である「箸」の語を嫌った船乗りが逆の「早い」と言う意味の「快」を用いて「快児」(kuai er, クァイル)といい改め、後に竹冠を加えた「?」の字を当てて、滞りのない航海を願ったことから来たものとされる[16][19][20]。また、「早く」子宝に恵まれるようにとの語呂合わせで娘が嫁ぐときに「?子」を持たせる風習も一部にある。

ベトナムではドゥア(??a/?)と呼ばれ、中国と同じ程度の長さ(27cmほど)の四角柱型のものが使用される。麺食が多いため、塗り箸はあまり用いられない。木製あるいは樹脂製が多い。
羹子?

香港では2007年から箸の先端部分にくぼみを持たせスプーン状にした羹子?(chopspoon)と呼ばれる箸が販売されている[21]
朝鮮

朝鮮では、青銅の重金属含量が低かったため、百済をはじめ古代から金属製の箸が用いられ続けた。匙と箸をあわせて「匙箸」(??、スジョ)と呼ばれる。現在はステンレス製が主であり、王族や両班など支配階級を中心になどの金属食器が利用されてきた名残である。銀は硫黄砒素と反応し変色するため、暗殺を未然に防ぐ効果もあった。おかず類に箸を使い、ごはんや汁類にを使う[18]
その他

モンゴルでは箸はサバハと呼ばれ、蒙古刀(ホタクッ)の鞘(ヘト)に格納されている(刀と一体化した工芸箸は日本刀櫃孔に装着する割れ笄も含め東アジアで広く見られる)[16][22]。しかし、騎馬民族はあまり箸を使わずナイフで切って食べる[2]タイマレーシアインドネシアフィリピン、及びヨーロッパアメリカ大陸は匙食文化圏であるとされるが、タイ北部山地のリス族は箸食である[2][23]

イスラム教ヒンドゥー教圏では食事に道具を使うことは汚れたことであり、手で食べることが最も清浄であるとされるため、これらの宗教圏は基本的に手食文化圏である[2]
歴史

古い時代の箸が発見されにくいのは、木や竹でできた箸は腐りやすく、また単なる木切れか箸かの区別もしにくいためと考えられる。

「箸」というものの最古例としては、中国の殷墟(紀元前 14 世紀ごろ - 紀元前 11 世紀ごろ)からの青銅製の長さ 26 cm、太さ 1.1 - 1.3 cm の箸六本の出土が報告されているが、食事用ではなく菜箸のような調理器具であったとされる[24][25]

帝辛(紂王)(紀元前1100年ごろ)が象箸(象牙の箸)を使用したという逸話が『史記』巻38 宋微子世家[26]、および『韓非子』喩老篇[27]にあるが、悪逆非道ぶりを表すための作り話の一つとも言われる[28][29]

中国では箸に当たる記述として「箸」、「?」、「?提」、「筴」、「?」、「快」、「快子」、「?子」、「快児」などが用いられ、このうち「箸」が戦国時代(中国)に現れ、この字には竹冠が使われていることから、当時から製のものが一般に使われていたのではないかとされる[28]。また、竹の棒の中央部分を加熱して曲げて作ったトングに由来するともされ、「竹筴」と呼ばれるピンセット状のものが戦国時代の湖北省随県曾侯乙墓から出土している[30][31][25]。その後、孟子が「君子厨房に近寄らず」(君子遠庖廚)の格言に基づき、厨房屠畜場でしか使わない刃物の、食卓上での使用に反対した。そして料理はあらかじめ厨房でひと口大に、箸にとりやすい大きさに切りそろえられ、食卓に出されるようになったので、箸が普及していったと言われる。西洋料理の食卓でフォーク・スプーンとともにナイフが使用されることとは対照的である。また、切りそろえる必要性から箸使用文化圏とまな板を常用する文化圏は概ね一致している[32]

儒教の経書の一つであり、前漢時代に成立した『礼記』の曲礼篇には箸を使うべき状況の例示があり、それによれば当時は手食の補助として、もっぱらの具を食べる時に使われていた事が分かる。中国で飯を箸でつまむようになったのは明代の頃からと言われる[33]

中国文化が周辺地域に影響力を及ぼすと共に(周辺地域の民族が外交的に中国・漢民族から野蛮人と見られたくないこともあって)、他の国でも使われるようになっていった。楽浪郡の遺跡からも箸と匙が見つかっている[34]

児童教育研究家の一色八郎は、日本で1膳の「唐箸」を食事に使い始めたのは、5世紀頃で、6世紀中頃に仏教とともに百済から伝来し、朝廷の供宴儀式で箸を採用したのは聖徳太子で、607年遣隋使として派遣された小野妹子一行が持ち帰った箸と匙をセットにした食事作法を取り入れたものと言っている[35]が文献や出土品からは確認できない。

平安時代になると市街地の遺跡からも箸が出土しており、庶民にまで浸透していたことがうかがえる[36]。箸であることが確実視されている日本最古の箸の出土品は7世紀後半の板蓋宮跡および藤原宮跡からの出土品である[37]

一方、6000年前の縄文時代の遺跡からも棒状の漆器が発見されており、これを日本最古の箸であると東京藝術大学の三田村有純教授は著書「お箸の秘密」で主張している。縄文人は縄文土器を使い鍋ものの様な料理を頻繁に食していた痕跡があるが、取り分けに使用した大型のは見つかっているが個人が使用する小型の匙は見つかっていない。日本人が食事に小型の匙を用いるようになったのは西洋化の進んだ近代以後であり、土器を使い始めた時期から熱い椀から素手で直接食事を取るわけにはいかず、箸は縄文時代から日本人に必要不可欠なものだったと推測している。

弥生時代末期の遺跡からは一本の竹を折り曲げピンセット状の形にした「折箸」が発見されているが、食べ物を口に運ぶためではなく、神に配膳するための祭祀・儀式用の祭器として使われたものであろうと言われる[30]

歴史書の「三国志」の巻30「魏書」30東夷伝[38]にある魏志倭人伝[39]に記載されている邪馬台国3世紀の日本)において、儀礼の場で「食飲用?豆手食」と?豆(木製の高坏)に盛られた料理を手づかみで食べるという記述があり、この時点では手食文化があったとされる。


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