箱根土地
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1925年(大正14年)、 国分寺大学都市民衆マラソン競走を開催。

1925年、 遊園地「新宿園」を開設。孔雀館(舞踏)、白鳥座(映画)、庭園劇場(芝居)の営業開始。

1925年、 強羅土地株式会社を吸収合併。

1925年、 小田原電気鉄道(現・小田急箱根)の株式を6424株取得。

1925年、 箱根土地株式会社と東京商科大学(現・一橋大学)が正式に土地交換契約締結。

1925年、 国分寺 - 萩山 - 小平間の鉄道経営免許取得[6]。後に西武鉄道となる武蔵野鉄道の株式145株を取得。

1926年昭和元年)、 社債償還不能で東京株式取引所での売買中止、事実上の破産。

1926年、 国分寺 - 小川間で、後に西武バスとなる乗合自動車営業開始。

1926年、中央線に寄付した国立駅営業開始、上下14本の旅客列車停車。

1926年、 芦ノ湖で水上遊覧飛行(10分間10円)の営業開始。

1926年、 本店を北多摩郡谷保村育柳894番地(国立大学町)に移設。

1926年、 債権者協議会開催。 社債返済の為に軽井沢千ヶ滝土地や新宿園を売却。

1926年、 堤康次郎、小田原電気鉄道の取締役に就任。

1927年(昭和2年)、 国分寺 - 国立 - 「多摩川満願寺渡」間の軌道敷設特許申請。

1927年、 東京 - 軽井沢間の航空輸送営業開始。

1927年、 萩山 - 村山貯水池間・村山梅林 - 村山貯水池間、0.4 kmの内燃鉄道免許取得。

1927年、 南軽井沢競馬場で競馬開催を主催。

1927年、 王子製紙藤田好三郎が1926年に練馬城趾43000千坪に開業した豊島園安田信託銀行から買収。

1928年(昭和3年)、 堤康次郎、東京府北多摩郡谷保村青柳894番地に多摩湖鉄道会社(資本金100万円)を設立。 箱根土地所有の鉄道事業一切の資産と敷設営業権譲渡。国分寺 - 萩山間営業開始。東国分寺駅桜堤駅小平学園駅青梅街道駅が営業開始。

1928年、 小田原電気鉄道が日本電力資本となり、堤康次郎は撤退。 日本電力は箱根登山鉄道(資本金500万円)を設立、鉄道部門を分離譲渡。

1929年(昭和4年)、 国鉄中央線電化延長により、国立駅に省線停車開始。

1929年、 軽井沢千ヶ滝中区で映画館、テニスコート、プール等を備えた「千ヶ滝遊園地」の営業開業。

1930年(昭和5年)、 万座・常盤屋より別館「大和屋」を買収、「百泉園」として営業開始。

1931年(昭和6年)、 芹ヶ沢の土地を買収し千ヶ滝西区で貸別荘の経営開始。

1931年、 武蔵野鉄道第三新株の株主割当実施の際に大量発生した失権株を買い集める。

1933年(昭和8年)、 有料道路軽井沢線(グリーンホテル - 峯の茶屋 - 鬼押出し)、有料道路三原線(鬼押出し - 三原)の営業開始。

1933年、 多摩湖鉄道が桜堤?小平学園間に商大予科前駅(現・一橋大学駅)営業開始。

1933年、 大雄山鉄道(現・伊豆箱根鉄道大雄山線)を傘下に収める。

1934年(昭和9年)、 駿豆鉄道(現・伊豆箱根鉄道)を買収する。

1935年(昭和10年)、 湯河原町との温泉譲渡交渉が決裂。

1935年、 鬼押出し園に岩窟ホールを開設。

1935年、 箱根遊船株式会社が湖尻 - 元箱根間自動車道の営業開始。

1936年(昭和11年)、 箱根山組合と箱根山西麓地区共有地の貸付契約更改を実施し、総面積887町8反9畝12歩以外を返還開放。

1936年、 仙石原高原の箱根仙石温泉村で温泉水道付き分譲地の分譲開始。

1936年、 軽井沢で建材として浅間ブロックの製造開始。

1937年(昭和12年)、 南軽井沢ホテル(押立山山頂)の営業開始。

1937年、開催予定の1964年東京オリンピックを目指し、箱根に複数のホテル(駒ケ岳温泉ホテル、富士見楼、神山ホテル、仙石高原ホテル、仙石温泉ホテル)を建設。

1938年(昭和13年)、 資本金未払金を打切って550万円に減資。

1938年、 日本温泉土地株式会社を吸収合併。

1938年、 グリーンホテルの大改築を実施、敷地内にスケート場開設。

1938年、 南軽井沢「大観楼」の営業開始。

1943年(昭和18年)、 近江鉄道を経営傘下に収める。

1944年(昭和19年)2月、国土計画興業株式会社に社名変更[1]
これ以降の歴史については「コクド」を参照
おもな不動産開発

新宿園
- 四谷番衆町に開設された娯楽施設。「劇場、活動写真館及庭園劇場等ノ演芸機関ヲ始メ児童遊戯場、徒渉地、動物舎、水禽舎等其他ノ諸設備」を加えた新名所との触れ込みだったが、わずか2年足らずで撤退を余儀なくされた[7]

目白文化村 - 堤康次郎自身も居を構える。同時に箱根土地や東京護謨(現・西武ポリマー化成)の事業拠点としても活用された。

百軒店 - 渋谷町 (東京府)の旧中川久任伯爵邸跡地に開店した名店街。

練馬区大泉学園町 - 1924年から168万平方メートルもの開発が始められた。大泉村 (東京府)北部に大規模な学園都市の開発を図り、碁盤目状に土地整備がなされた。

小平市小平学園町 - 170万平方メートルもの土地を開発。
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