唐代には、上記の尹知章(中国語版)または房玄齢に帰される注釈書が著された。明代には、劉績(中国語版)が『管子補註』を著した。清代には、考証学者の王念孫や陳奐(中国語版)が考証したほか、洪頤?(中国語版)が『管子義証』を、戴望が『管子校正』を著した。
朝鮮では、李氏朝鮮期の許?が著書『惺所覆?稿』で管子の思想を高く評価した[2]。
日本では、平安時代初期頃に伝えられて以来重んじられ、江戸時代後期には安井息軒が『管子纂詁』を著した[3]。
参考文献
木村英一 「管子の成立に関する二、三の考察」(『支那学10』、1942年)
遠藤哲夫 『新釈漢文大系 管子 上・中・下』(明治書院、1989-92年)
金谷治 『管子の研究?中国古代思想史の一面』(岩波書店、1987年)ISBN 4000003194
筑摩書房 『世界古典文学全集19 諸子百家』。現代語編訳を収録
関連文献
宣兆g『図説 管子 生涯と功績』、浅野裕一監修、三浦吉明 翻訳、国書刊行会、2020年3月
W. Allyn Rickett and Zhong Guan, Guanzi: Political, Economic, And Philosophical Essays From Early China: A Study And Translation. Boston 2001: Cheng & Tsui Company. 1985年にPrinceton Univ Pressから出版されたものの改訂版。数編を英訳。
外部リンク
⇒『管子』全文 - 中国哲学書電子化計画
脚注^ 「管仲之書、過半是後之好事者所為、輕重諸篇尤鄙俗。」(劉恕『資治通鑑外紀』所引)
^ 「管子書?雜重複、似不出一人手。其心術、内業等篇、皆附會道家、而宙合諸篇、皆用隠語、俶譎詭怪。以仲責之術。安得有此謬悠語耶。使果出其手。不過故爲權辭以飾之耳。仲之情見於其書者、獨牧民、大匡、輕重等篇。而牧民尤爲簡明。其論兵陣之制。農桑諸利之原。鑿鑿中其綮。宜其施之事而輒有實效。終至於富國強兵。取威定霸。而尊其主爲百五首也。噫。世已末矣。王道卒不可行。則安得如管子者爲政而治其民耶。」(『惺所覆?稿』 卷13 「文部」10「管子」)
^ “新釈漢文大系 42 管子 上 - 明治書院”. 明治書院. 2020年12月14日閲覧。