笹乃雪では、豆腐のことを「豆富」と書いて「とうふ」と記している。その由来は、80年ほど前の9代目当主奥村多吉が、料理店に「腐る」という字はふさわしくない、という理由で「豆富」と記すようになった[4]。1910年代の街歩きの本には、50銭で料理が食べられたと示している[7]。店の創業期に別の説があり、青果物を卸売にきた農家が休憩に立ち寄ったり、あるいはかつて遊里があったころには客のため四つ時まで店を開けたといい[8]、大正時代には入谷の朝顔市のころばかり繁盛したとも記された[8]。1930年頃のメニューはあんかけ、冷奴、煮どうふ、炒りどうふなどがあった[9]。
豆富は、その当時の井戸水と苦汁を使用した昔ながらの製法である。使用する井戸水は、数百年をかけて武蔵野から到達する水脈を、地下80メートルから採水している[10]。「豆腐料理の笹乃雪」
元禄年間(1688?1704)に、京都宮家出入りの豆腐職人だった玉屋忠兵衛が、江戸で初めて絹ごし豆腐を作り、音無川のほとり、根岸の里に豆腐茶屋を開いたのが始まり。「笹乃雪」の屋号は、輪王寺宮が「笹に積もる雪のように白くて柔らかい」と称賛したことにちなむ。箸、二つに重ねた椀、椀に盛られたあんかけ豆腐の絵あり。「根岸新田二軒茶屋きぬこし御膳笹乃雪玉忠」と記された広告が書き写されている。 ? 清水春風著「豆腐料理の笹の雪」[5]より抜粋
文化人との縁が望まれています。 (2022年9月)
「水無月や根岸涼しき笹乃雪」
正岡子規が明治30年(1897年)に笹乃雪を詠んだ句で、子規や夏目漱石をはじめ多くの文人歌人も訪れた[6]。河鍋暁斎ほか、贔屓にした文化人の作品を収蔵し店内に展示する[11]。 出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年9月) 主な執筆者や編者の50音順。
営業情報
笹乃雪
東京都台東区根岸二丁目15番10号定休日 - 月曜日、月曜日が祭日の場合は火曜日営業時間 - 相席 - 午前11時30分 - 午後8時30分(ラストオーダー 午後8時)、個室 - 午前11時30分 - 午後9時駐車場 - 無し[12]
交通アクセスJR山手線 - 鶯谷駅より徒歩2分
ギャラリー
表玄関(2018年1月31日撮影)
脇玄関(2018年1月31日撮影)
脚注[脚注の使い方]^ a b 有限会社笹乃雪 第94期決算公告
^ “ ⇒豆富・豆腐料理の笹乃雪 。正岡子規、赤穂浪士ゆかりの老舗”. www.sasanoyuki.com. 2022年9月1日閲覧。
^ 奥田 1925, pp. 129?131
^ a b 根ぎし 笹乃雪 - ⇒「いわれ」
^ a b 清水春風「豆腐料理の笹の雪」『東京名物百人一首』明治40-08。 2018年2月2日閲覧
^ a b 東都のれん会 - ⇒「笹乃雪」
^ 杉韻居士 1914, pp. 99?100
^ a b 岡田 1916, pp. 8?9
^ 『東京名物食べある記』 1930, pp. 64?67
^ 根ぎし 笹乃雪 - ⇒「最新情報」
^ 濱 2007, 笹乃雪所蔵「諸家雑画帖」
^ 根ぎし 笹乃雪 - ⇒「店舗案内」
参考文献