第53回NHK紅白歌合戦
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『やべ』って思った瞬間に、歩いてはいけないポイントで歩いてたんです、私。止まってなきゃならないのに…。目の前でスタッフがワラワラ後ずさっていくんです。あっ!私、ここ止まってなきゃならないんだって思った瞬間、歌詞が…歌詞何って…って飛んだんです」と笑いながら歌詞間違いをした経緯を語っている。また、極寒の地での歌唱で「マイクが氷のように冷たいんです。気の毒だってんで(スタッフが)懐で暖めてくれたんですね。ありがたいことですね」と改めてスタッフの好意に感謝もしている[12]

紅組トップバッターおよび先行トップバッターの藤本美貴のバックでは当時の藤本が所属していたハロー!プロジェクトの中で、同じく今回に出場していたモーニング娘。4・5期メンバー8人がダンスを披露した。なお、ハロー!プロジェクトからは他にも松浦亜弥が出場しており、紅白で初めてハロー!プロジェクトが紅組の3枠を使った。

膳場が審査員の朝青龍明徳に「どちらが優勢でしょうか?」と振ったところ、「白星先行」との理由で白組と述べた。これに対し、有働は司会席から「(母国の)モンゴル相撲の衣装は赤じゃないですか」と返した。

鳥羽一郎の歌唱時には、作曲・プロデュースを担当した宇崎竜童が、第38回1987年)以来15年ぶりに登場。鳥羽と共に「海よ海よ」を熱唱した。

第2部の白組トップバッターおよび先行トップバッターを務めた氷川きよしのバックダンサーはパパイヤ鈴木とおやじダンサーズ

ポルノグラフィティ2002 FIFAワールドカップのNHK中継テーマソング 「Mugen」を歌唱。

前川清の「ひまわり」歌唱時にはRAG FAIRがコーラスを担当した。

第48回1997年)で紅白両軍の司会を務めた和田アキ子中居正広(当時SMAP)の2人を進行役に据え、出場歌手が輪唱をするコーナーが行われた。「静かな湖畔の森の影から」の輪唱シーンにおいて、SMAPの木村拓哉が「静かな湖畔の森の影から男と女の声がする」と歌い、和田が「ここNHKだよ」と言って木村を咎める一幕があった。

第46回1995年)以来7年ぶりとなる小林幸子美川憲一の豪華衣装対決は美川が先行で推定3億円といわれる宝石をちりばめた衣装で登場。一方、小林は「氷の女王」と呼ばれる白を基調とした絢爛豪華な衣装での登場だった。2人の豪華衣装対決の後、感想を聞かれた審査員の市川海老蔵は「今まで白だったんですが、今の見たら…」と小林の圧倒的なパフォーマンスに驚きを隠せなかった。

小林幸子美川憲一の豪華衣装対決の後は、平井堅CHEMISTRY → 中森明菜 → 安室奈美恵と白白紅紅の順で歌った。

平井堅は「大きな古時計」のモデルになった時計のある アメリカ合衆国マサチューセッツ州から中継で歌った。

安室奈美恵がこの年に彫った刺青ノースリーブ姿で露出させて歌ったところ、視聴者から苦情が殺到した。これを受けて、翌年の第54回以降、刺青のある出演者は刺青が露出しない服装にするか、化粧などで刺青箇所を塗り隠さなくてはならなくなった。安室は第54回も出場したが、この時はノースリーブ姿で刺青をファンデーションで塗り隠して歌った。

SMAPは同リーダー・中居正広のソロから入る特別アレンジの「freebird」に「夜空ノムコウ」のサビを入れたSPメドレー「freebird '02」を披露した。

谷村新司の「昴-すばる-」の歌唱時には、 中国出身の二胡奏者チェン・ミンが参加した。

ショーコーナーでは、特別ゲストの柴矢裕美が「おさかな天国」を、北島三郎が『おじゃる丸』の主題歌「詠人」を歌った。

紅組トリは出場25回を果たした石川さゆりの「天城越え」。

白組トリおよび大トリは五木ひろしが務め、この年の母親の死去後、歌唱を封印していた「おふくろの子守唄」を涙を浮かべながら歌った。

曲順発表前、『スポーツニッポン』(12月19日付)がトリ人選について、「白組トリおよび大トリは五木で内定。紅組トリは石川を中心に人選が進められているが、大逆転で中島みゆきの可能性もある。中島が紅組トリの場合、白組トリも谷村ら他のベテランも急浮上の可能性がある」と報じた[13]。曲順発表時、並木プロデューサーはトリ選考に関し、「家族、ふるさと、親子関係などがあらためてクローズアップされた1年。五木の「“おふくろの子守歌”」で締めるのが最もふさわしいと考えた」と説明。石川の「天城越え」は視聴者アンケートでの人気が極めて高かったとした[14]

優勝は紅組。有働は前回のリベンジを果たす格好となった。

エンディングの「蛍の光」では、いつもステージの端でタクトを振っている指揮担当の宮川泰をステージ中央に迎えた一幕があり、そのまま最後まで中央の司会者の前で指揮を務め上げた。なお、バックコーラスは今回を最後に第56回2005年)まで登場しなくなる。

第2部の平均視聴率は、47.3%(関東地区・ビデオリサーチ社調べ)であった。なお、今回初めて民放の番組に年間視聴率1位の座を明け渡すこととなった[注 2][注 3]
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