第10軍_(アメリカ軍)
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編成と指揮系統

第10軍の主力部隊はジョン・リード・ホッジ陸軍少将率いる第24軍団(英語版)とガイガー少将率いる第3海兵水陸両用部隊からなり、その指揮下には予備部隊を含めて7個師団を抱えていた[11]。第24軍団には第7歩兵師団と第96歩兵師団(英語版)が直属部隊として属しており、第7歩兵師団はアッツ島の戦いクェゼリンの戦いおよびレイテ島の戦いに参戦し、第96歩兵師団もレイテで戦った経験を有していた[12]。第3海兵水陸両用部隊の中核を成すのは、海兵隊古参部隊で精鋭を誇る第1海兵師団[13]、部隊としての歴史は浅いもののマーシャルサイパンおよびグアムでの戦闘経験者から構成されていた第6海兵師団であった[13]。第10軍直属の師団としては第27歩兵師団(英語版)、第77歩兵師団(英語版)および第2海兵師団があり、これらは後詰や特殊任務に使われた[14]。その他、ニューカレドニアには第81歩兵師団(英語版)が第10軍全体の後詰として配備され[14]、また独自の海軍機動部隊、航空部隊および守備隊もあった[14]

第10軍全体の基礎兵力は、陸軍は約102,000名を数え、これに支援部隊など約38,000名と工事などに従事する9,000名が随伴していた[6][15]。海兵隊は88,000名、海軍はシービーと医療班を中心とする18,000名がおり[16]、第10軍は沖縄戦開始の時点で182,821名の兵員を有していた[16]。18万の大軍を束ねる第10軍司令部はバックナー中将をはじめ、アラスカから転戦してきた者、またヨーロッパの戦場からはせ参じた者で構成され、また海軍および海兵隊から派遣された連絡将校もいて三軍間での連携を密にするよう配慮されていた[17]。この第10軍を指揮系統上で指揮するのは第51任務部隊司令官リッチモンド・K・ターナー海軍中将であり、ニミッツ元帥[注釈 2]、スプルーアンス大将、ターナー中将、バックナー中将の順で指揮系統を整備した[18]。したがって、第10軍は前線での最高司令官であるスプルーアンス大将の責任の下で作戦を行うというわけであるが、スプルーアンス大将自身は「上陸が成功すれば、以降はバックナー中将が沖縄周辺の三軍の指揮を掌握すべきだ」との考えを持っていた[19]
第10軍の部隊構成

1945年1月以降の編成である[14][20]。なお第7、第77、第96の各歩兵師団は兵力が増強されていたが、定員より1,000名少ない人数だった[21]

第10軍司令部(サイモン・B・バックナー・ジュニア陸軍中将)

第24軍団(ジョン・リード・ホッジ陸軍少将):南部上陸軍

第7歩兵師団(アーチボールド・V・アーノルド(英語版)陸軍少将):兵力約22,000名

第96歩兵師団(J・C・ブラッドレー陸軍少将):兵力約22,000名


第3海兵水陸両用部隊(ロイ・ガイガー海兵少将):北部上陸軍

第1海兵師団(P・A・デルヴァル海兵少将):兵力26,274名(シービー、予備隊2,500名を含む)

第6海兵師団(レムエル・C・シェファード・ジュニア(英語版)海兵少将):兵力24,356名(シービー、予備隊2,500名を含む)


第27歩兵師団(G・W・グライナー陸軍少将):予備部隊主力

第77歩兵師団(アンドリュー・D・ブルース(英語版)陸軍少将):西部諸島上陸隊。兵力約22,000名

第2海兵師団(トーマス・E・ワトソン(英語版)海兵少将):陽動上陸部隊

以下は付属部隊および予備部隊

第81歩兵師団(ポール・J・ミューラー(英語版)陸軍少将):戦域予備部隊(在ニューカレドニア)

陸軍予備部隊(F・G・ウォーレス陸軍少将)


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