その後十数年間、軍団はドナウ川の国境沿いに駐在し続け、マルクス・アウレリウスの時代にはマルクス・ウァレリウス・マクシムスの指揮下でマルコマンニ族と戦う。171年から175年までの短期間だけ軍団はペルティナクスの指揮下にあったが、セプティミウス・セウェルスが帝位につくとこれに参加。ローマまで進軍する。
その後の数十年間の所在地は再びパンノニアとなり、連戦のパルティアとの戦争の一部を担う。具体的には195年の戦役、そして197年から198年まではセウェルス指揮下で198年クテシフォンの戦いに参加、215年から217年までカラカラの指揮下で、244年にゴルディアヌス3世指揮下でパルティア遠征に参加した。
脚注^ a b .mw-parser-output span.smallcaps{font-variant:small-caps}.mw-parser-output span.smallcaps-smaller{font-size:85%}L.J.F. Keppie, The Origins and Early History of the Second Augustan Legion, in L.J.F. Keppie, Legions and Veterans: Roman Army Papers 1971-2000, Stuttgart, 2000, p. 128.
^ タキトゥス、「同時代史」、第2巻43章1項。
^ タキトゥス、「同時代史」第3巻44章。
^ ILS 1029, 1061, etc.
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