その他、財務大臣の額賀福志郎の事務所未登記、環境大臣の鴨下一郎の、政治資金収支報告書の借入金の記載不備、内閣官房副長官の岩城光英の政治資金収支報告書虚偽記載、経済産業大臣政務官の荻原健司の、自宅電気代の自由民主党への付け替えと相次いで閣内の不祥事が発覚し、安倍の任命責任が問われる事態となった。野党側は安倍への問責決議案提出、遠藤らへの国会議員辞職要求などを検討しており、安倍のさらなる求心力の低下、および政局への発展は避けられない情勢となっていた。
9月9日、豪州・シドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し、「(給油継続のため)全力を尽くし、職を賭していく考えで理解を得ていく。」「すべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。」「そのことで私が職責にしがみつくということはない。」と給油が継続できない場合は内閣総辞職する覚悟であることを示唆した。[14]。 9月10日召集の第168回国会で安倍は「職責を果たし全力を尽くす」と所信表明演説を行なった。しかし9月12日の正午過ぎにテロ対策特別措置法の延長が厳しくなったこと、野党との党首会談で問題を解決できそうもないことなどを受け国会対策委員長の大島理森に首相辞任の意向を伝え、午後2時からの記者会見で正式に首相辞任の意向を表明した。当日は、午後1時から所信表明演説に対する民主党の鳩山由紀夫、長妻昭から代表質問が行われる予定だったが、それを目前にしての辞任表明であったため、政権交代を目指す民主党議員たちからも大いに驚きを持って受け止められた[15]。 内閣官房長官の与謝野馨が首相辞任会見直後に安倍が述べなかった重大な辞任理由として健康問題があることを直ちに補足したものの[16]、海外メディアを含めて「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などとさんざんな酷評をこうむる事態となった。 安倍自身が会見で語った辞任理由について、盟友とされる前官房長官の塩崎恭久は「口実に決まっている」と解説した[6]。これに加えて安倍の突然の辞任会見の数日前から、安倍が主導権を幹事長(麻生太郎)―官房長官(与謝野)ラインに奪われているらしいこと、およびチーム安倍が内閣改造で空中分解したために安倍が孤立しているらしいことなどが新聞はじめ各方面から示唆されていた[6][注釈 2]。 安倍は9月13日から体調不良(病院が公表した病名は機能性胃腸障害)を理由に都内にある慶應義塾大学病院に入院していた。辞任表明会見後の最初の記者会見を9月24日17時から病院内で行い、国民に対する謝罪を表明し、病気辞任であることを正直に述べるべきであったことを率直に認めた。またチーム安倍の空中分解を辞任理由とする説については、会見後の質疑応答で完全否定している[18][19]。この11日間の入院期間中に安倍は一度も病院外へ出ることはなかったが、政府は安倍とは連絡が取れる状態であることを理由に首相臨時代理を置かなかった。首相としての執務は病室の隣の部屋で行なっていたという。内閣総辞職に際し贈呈された花束を持つ内閣総理大臣の安倍 福田康夫内閣の組閣人事が固まった2007年(平成19年)9月25日、内閣は総辞職し、安倍は自内閣の総まとめとなる談話[20]を発表した。
突然の辞任