第十方面艦隊
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^ 濠北方面を管轄とした第四南遣艦隊は、その長官が新第十方面艦隊司令長官より先任であつた爲、右の改編に於ては獨立艦隊とせられたが、約一ヶ月後、一九四五年三月十日附にて第四南遣艦隊は解隊せられ、濠北方面も亦、第十方面艦隊の管轄下に入つた[14](以下略)
^ 1945年(昭和20年)1月1日付で第五戦隊に編入される[16]。
^ 北号作戦に関して「大淀」は2月10日付で第四航空戦隊に編入され[17]、完部隊として内地へ帰投した[18]。
^ (中略)[19]當時第十方面艦隊麾下に於て、唯一の移動兵力であつた第十三航空艦隊の兵力は組織上には、第二十三及び第二十八兩航空戰隊の陣容を擁してゐたが、その實兵力に於ては、零戰約五〇、月光約五機、陸攻約一七機程度を有するにすぎず、局地防衛の兵力にも滿たなかつた。また水上兵力に於ては足柄、羽黒、五十鈴及び若干の小艦艇にすぎず、これまた頼むに足りなかつた。(以下略)
^ 1945年6月8日、バタヴィア輸送作戦中にイギリス潜水艦「トレチャント」の雷撃で沈没。
^ シンガポール在泊中の1945年7月30日、イギリス海軍の豆潜水艦によるストラグル作戦で小破した。
^ 1945年(昭和20年)5月16日、ペナン沖海戦で沈没。
^ 1945年(昭和20年)4月7日、アメリカ潜水艦ガビラン」と「チャー」の雷撃で沈没。
出典^ a b c 「昭和20年2月9日(発令2月5日付)海軍辞令公報(甲)第1717号 pp.9,14」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103400
^ #S1911五艦隊日誌(4) pp.59-61(聯合艦隊電令作第四九九號)
^ #S20.04二水戦詳報(1) p.21
^ #1945年ボルネオ方面作戦 pp.1-2
^ #S20.04二水戦詳報(1) pp.17-18(1945年2月5日)〔 五日一六五二|五日一八〇〇|GF電令作第四九九號 GF機密第〇四二〇五六番電第五項(イ)(ロ)西部方面部隊及濠北部隊ノ南方軍總司令官ノ指揮下ニ入ル時機ヲ二月七日〇〇〇〇トス|無電 〕
^ #S1911五艦隊日誌(4) pp.3-4〔 (イ)敵情(一)菲島方面 〕
^ #S1911五艦隊日誌(4) p.8
^ #S20.04二水戦詳報(1) pp.4-5
^ #S20春南西方面一般情勢 p.1
^ #S20.04二水戦詳報(1) p.7〔 (2)自二月五日 至二月九日 〕、同資料 p.29(経過概要、1945年2月5日)
^ #S20.04二水戦詳報(1) p.19
^ #S20.04二水戦詳報(1) pp.7-8〔 (3)自二月十日 至二月二十日 〕
^ #S20大淀戦闘詳報 p.37(2月9日、第十方面艦隊司令長官/SBB機密091800番電、SBB電令作第三號)
^ #S20春南西方面一般情勢 p.2
^ #S20.04二水戦詳報(1) p.7〔 (2)自二月五日 至二月九日 〕
^ #S1911五艦隊日誌(4) p.18〔 (二)自一月一日至二月五日 第二遊撃部隊艦船所在一覧表 〕
^ #S20.04二水戦詳報(1) p.10
^ #S20.04二水戦詳報(1) pp.7-8〔 (3)自二月十日 至二月二十日 〕、同資料 p.31(1945年2月10日、経過概要)、#S20大淀戦闘詳報 p.4
^ #S20春南西方面一般情勢 p.2
参考文献
アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
『昭和19年11月1日?昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030020100。
『昭和20年2月10日?軍艦大淀戦闘詳報』。Ref.C08030578500。
『昭和20年2月1日?昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030103000。
『昭和16年?昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。Ref.C08051772000。
『1945年に於けるボルネオ方面の作戦』。Ref.C14061130000。
『1.1945年春に於ける南西方面の一般情勢』。Ref.C14061154300。
関連項目
北号作戦
ヒ88J船団
天津風(シンガポールで修理中)
ペナン沖海戦
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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