第二電電
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2000年10月1日に当社を存続会社としKDD日本移動通信(IDO)を合併。株式会社ディーディーアイ(後にKDDI株式会社へ商号変更)が発足した。
沿革

1984年(昭和59年)6月1日 - 京セラ三菱商事ソニーセコムなど25社の出資により第二電電企画株式会社設立。

1985年(昭和60年)4月 - 第二電電企画株式会社が第二電電株式会社(DDI/Daini Denden Inc.の略だが実際の英文社名はDDI Corporation)と商号変更。

1986年(昭和61年)10月 - 東京、名古屋、大阪での専用線サービス開始。

1987年(昭和62年)9月 - 東京、名古屋、大阪での市外電話サービス開始。

1989年(平成元年)

7月 - 関東・中部圏以外のエリアで移動体通信子会社のサービス開始(現在のau)[注釈 2]

7月 - 関西セルラー電話が事業開始。

12月 - 中国・九州セルラー電話が事業開始。


1990年(平成2年)

4月 - 東北セルラー電話が事業開始。

8月 - 北海道セルラー電話が事業開始。

9月 - 北陸セルラー電話が事業開始。

12月 - 四国セルラー電話が事業開始。


1992年(平成4年)10月 - 沖縄セルラー電話が事業開始。

1994年(平成6年)11月 - PHS事業会社、DDIポケット電話グループ9社を発足。

1997年(平成9年)7月 - プロバイダ事業「DION」(現在のau one net)サービス開始。

1998年(平成10年)10月22日 - 6秒単位のハドソン課金による国際電話サービス(事業者識別番号:0078)を開始。国際電信電話ケーブル・アンド・ワイヤレス(現:ソフトバンク)およびテレグローブ・サービス・ジャパン(現アイ・ピー・エス)との相互接続により提供。

2000年(平成12年)10月1日 - ケイディディ株式会社、日本移動通信株式会社を合併、株式会社ディーディーアイに商号変更。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 1999年までは関東・中部地方では日産自動車との合弁で(ツーカーセルラー東京・ツーカーセルラー東海)、関西では日産が単独で(ツーカーホン関西)事業を展開していた。しかし、日産の経営危機とそれに伴う再建計画(日産リバイバルプラン)により非中核事業が整理され、その際にツーカーグループ3社はDDIに売却された(当初は旧日本テレコムに売却される予定だったが、DDIの反対により同社への売却は撤回された)。
^ 関東・中部圏については、 1987年3月9日トヨタ自動車日本道路公団主導で、日本移動通信株式会社(IDO/NIPPON IDOU TSUSHIN CORPORATION、後にIDO Corporationに変更)が設立されている(現在のau)。

出典^ a b c “ ⇒第二電電の概要”. KDDI株式会社. 2014年9月22日閲覧。
^ a b株式年表 株式・格付け情報 KDDI株式会社 - KDDI (2015年1月25日閲覧)
^ “意見書”. 郵政省 (1997年10月17日). 2014年9月22日閲覧。

関連項目

日本電信電話公社

日本電信電話(NTT)


日本テレコム

ソフトバンクテレコム

ソフトバンク



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