第二次世界大戦
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6月22日、フランス軍はパリ近郊コンピエーニュの森においてドイツ軍への降伏文書に調印した[注釈 6]

その生涯でほとんど国外へ出ることがなかったヒトラーがパリへ赴き、パリ市内を自ら視察し即日帰国。その後、ドイツはフランス全土を占領し、その直後に講和派のフィリップ・ペタン元帥率いるヴィシー政権が樹立される。

これに対抗してフランス人の手でフランスを取り戻すべく、ロンドンに亡命した元国防次官兼陸軍次官のシャルル・ド・ゴールは「自由フランス国民委員会」を組織し、ロンドンBBC放送を通じて対独抗戦の継続と親独中立政権であるヴィシー政権への抵抗を国民に呼びかけ、イギリスやアメリカなどの連合国の協力を取りつけてフランス国内のレジスタンス運動を支援した。

なお、フランス主要植民地のアルジェリアモロッコインドシナマダガスカルなどはヴィシー政権につき、それぞれドイツ軍や日本軍との友好関係や軍の駐留を引き受けた。

7月3日、フランス領アルジェリアがドイツ側の戦力になることを防ぐため、イギリス海軍H部隊メルス・エル・ケビールに停泊していたフランス海軍艦船を攻撃し、大損害を与えた(カタパルト作戦)。アルジェリアのフランス艦艇は、ヴィシー政権の指揮下にあったものの、ドイツ軍に対し積極的に協力する姿勢を見せていなかった。にもかかわらず、多数の艦艇が破壊され、多数の死傷者を出したために、親独派のヴィシー政権のみならず、ド・ゴール率いる自由フランスさえ、イギリスとアメリカの首脳に対し猛烈な抗議を行った。また、イギリス軍と自由フランス軍は9月にフランス領西アフリカダカール攻略作戦(メナス作戦)を行ったがフランス軍に撃退された。
英国の戦いバトル・オブ・ブリテン時のドイツ空軍ハインケル He111爆撃機

西ヨーロッパを席巻したドイツ軍は残るイギリスを屈服させるために、イギリス本土上陸作戦「アシカ作戦」の準備に取り掛かり、ロッテルダムからル・アーヴルまでに、輸送艦168隻、1,910隻、タグボートや漁船419隻、モーターボート1,600隻を揃え、25個師団を上陸戦力として準備させていた。勝利続きで意気上がるドイツ兵は、英仏海峡をイギリス本土を望みながら「きょう、ドイツはわれらのもの、そして、明日は全世界がわれらのもの」と高らかに歌っており、ドイツ国内のマスコミを含めた世論もドイツの勝利を確信していた[97]。しかし、強力なイギリス海軍は健在で、艀や漁船でイギリス海軍を突破し、さらに英仏海峡を渡っての敵前上陸成功の目途はついていなかった。そのため、ヒトラーはイギリスとの講和を望んでおり、7月16日にチャーチルに対して「大英帝国を壊滅させることはもちろん、傷つけることさえも私の真意ではない。だが私はこの闘争が続くならば 、その結果は両国のいずれか一方が、完全に壊滅することになると信じる者である。チャーチル氏は、壊滅するのはドイツだと信じるだろうが、私はそれは、イギリスであることを確信している」と呼びかけ、講和を促した[98]。しかしチャーチルはヒトラーの呼びかけを敢然と拒否し、イギリス国民に対し以下の様に徹底抗戦を呼びかけた[99]。ヒトラーは、この島において我々を破壊しなければ、戦争に負けることを知っている。…だから、我々は身を引き締めて我々の義務を遂行し、もしイギリス帝国とその連邦が1,000年続くとすれば、人が「彼等はあのとき最も立派に戦った」というように、我々は振舞おうではないか。

講和の可能性が無くなると、ドイツ空軍総司令官ヘルマン・ゲーリングは「アシカ作戦」の準備のためにイギリス本土に対する航空総攻撃を命じ、ここにイギリス帝国の命運をかけたバトル・オブ・ブリテンが開始された。作戦開始時ドイツ空軍は第2、第3、第5航空艦隊の合計3,350機の作戦機を投入し[100]、この作戦機に搭乗するパイロットの多くが、ドイツの電撃戦を空から支援した熟練パイロットであった[101]。一方でそれを迎え撃つイギリス軍には704機の可動戦闘機しかなかった[99]。イギリス空軍戦闘機軍団司令官ヒュー・ダウディング大将は、戦力が圧倒的に勝っているドイツ空軍との戦いに備えて準備に着手しており、まずはドイツ軍の戦闘機メッサーシュミット Bf109に対抗可能な、スーパーマリン スピットファイアホーカー ハリケーンなどの新鋭戦闘機の生産強化を図った。ダウディングや航空機生産大臣マックス・エイトケン (初代ビーヴァーブルック男爵)の尽力で、4月には月産256機であったのが、その5か月後には467機と戦闘機の生産は倍増した[102]。また、開発されたばかりのレーダーを活用し、多数のレーダーサイトを構築し早期警戒網を整備、情報を地下の防空司令部にある戦闘指揮所で一元管理し効率的な迎撃を行える体制も構築した。これらのダウディングの準備は、この後の戦いで重要な役割を果たすことになる[103]

ドイツ空軍はまず、英仏海峡を航行するイギリス船団への攻撃を開始した。当初ドイツ空軍は、ボールトンポール デファイアントなどの旧式戦闘機との散発的な空戦で勝ち誇っていたが、やがて、レーダーに誘導されて正確に迎撃してくるスピットファイアやハリケーンに痛撃を浴びると、8月に入ってから優先攻撃目標をイギリス軍のレーダーサイトと飛行場及び航空機工場とし、イギリス空軍の防空能力に打撃を与えることとした[104]


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