第一次世界大戦
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英独間の軍備拡張競争は全ヨーロッパを巻き込み、列強の全員が自国の工業基盤を軍備拡張に投入し、汎ヨーロッパ戦争に必要な装備と武器を準備した[33]。1908年から1913年まで、ヨーロッパ列強の軍事支出は50%上昇した[34]
バルカン半島の紛争1908年のオーストリアによるボスニア併合宣言を読むサラエヴォの住民(1908年10月)

オーストリア=ハンガリー帝国は、1878年にオスマン帝国領だったボスニア・ヘルツェゴヴィナを占領したが、1908年にそれを正式に併合して、1908年から1909年にかけてのボスニア危機を引き起こした。これはセルビア王国とその後援国で汎スラヴ主義を支持していたロシア帝国を沸騰させた。バルカンでの平和合意は既に揺らいでおり、さらにロシアの政治活動もあってバルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれるに至った[35]

1912年から1913年にかけて、バルカン同盟と徐々に解体していったオスマン帝国の間で第一次バルカン戦争が勃発。その講和条約であるロンドン条約ではアルバニア公国が独立した一方、ブルガリア王国、セルビア王国、モンテネグロ王国ギリシャ王国は領土を拡大した。1913年6月16日にブルガリアがセルビアとギリシャを攻撃して第二次バルカン戦争が起き、この33日間の戦争ではブルガリアが大敗。マケドニアの大半をセルビアとギリシャに、南ドブルジャ(英語版)をルーマニア王国に割譲せざるをえず、バルカンが更に不安定になった[36]

列強はこの時は紛争をバルカン半島内に抑えることに成功したが、次の紛争はヨーロッパ全体に飛び火し、戦火はやがて全世界を巻き込んだ。
開戦
サラエヴォ事件詳細は「サラエヴォ事件」を参照この写真は一般的にはガヴリロ・プリンツィプが逮捕される瞬間とされているが、一部の文献[37][38]では見物人の一人であるフェルディナント・ベール (Ferdinand Behr) としている。

1914年6月28日、オーストリアのフランツ・フェルディナント大公ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォを訪問した。

ユーゴスラヴ主義(英語版)組織青年ボスニア(英語版)からの暗殺者6人(クヴジェトコ・ポポヴィッチ(英語版)、ガヴリロ・プリンツィプ、ムハメド・メフメドバシッチ(英語版)、ネデリュコ・チャブリノヴィッチ(英語版)、トリフコ・グラベジュ、ヴァソ・チュブリロヴィッチ(英語版))はセルビア黒手組の物資提供を受けて、大公を暗殺すべく大公の車列が通る街道で集まった。チャブリノヴィッチは手榴弾を車に投げつけたが外れ、近くにいた人々が負傷しただけに留まった。大公の車列はそのまま進み、チャブリノヴィッチ以外の暗殺者が動けないのを尻目に無事通過した。

フェルディナントは、爆発で怪我した者の見舞いにサラエヴォ病院に行ったが、約1時間後の帰りでは車が道を誤って方向転換、ちょうどプリンツィプのいた道に入った。プリンツィプはピストルで大公と大公の妻ゾフィー・ホテクを射殺した。

オーストリア人の間では反応が薄く、ほぼ無関心に近い状態だった。歴史家のズビニェク・ゼマン(英語版)は後に「事件は人々に印象を残すことにほとんど失敗した。日曜日と月曜日(6月28日と29日)、ウィーンの大衆はまるで何も起こらなかったように音楽を聴いたりワインを飲んだりした」と[39][40]。一方、帝位継承者の暗殺という事件は政治に重大な影響を与え、21世紀の文献では「9月11日効果」と形容するものもある[41]。また、大公夫婦とは個人的には親密ではなかったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は衝撃を受けて、怯えた。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの騒動

オーストリア=ハンガリー当局は、サラエヴォの反セルビア暴動(英語版)を煽動した。その結果、サラエヴォではボスニア系セルビア人(英語版)2人がボスニア系クロアチア人(英語版)とボシュニャク人により殺害され、またセルビア人が所有する多くの建物が損害を受けた[42][43]

セルビア人に対する暴力はサラエヴォ以外でも組織され、オーストリア=ハンガリー領ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチアスロベニアなどで起こった。ボスニア・ヘルツェゴヴィナのオーストリア=ハンガリー当局は目立ったセルビア人約5,500人を逮捕、送還したが、うち700から2,200人が監獄で死亡した。ほかにはセルビア人460人が死刑に処された。主にボシュニャク人で構成された「保護団体(英語版)」も設立され、セルビア人を迫害した[44][45][46][47]


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