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生誕 (1962-11-08) 1962年11月8日
出身地 日本・福岡県
死没 (2022-12-14) 2022年12月14日(60歳没)
日本・熊本県
ジャンルJ-POP、ロック
職業ミュージシャン
ドラマー
担当楽器ドラムス
ボーカル
活動期間1982年 - 1989年、2015年 - 2022年(CoconutBoys、C-C-B)
1989年 - 2020年(その他)
レーベルポリドール(1989年 - 1990年)
バースデーレコード(1991年 - 1993年)
インディーズ(1997年 - 2022年)
共同作業者
C-C-B
RYUZ
AREX-destiny
Mr/K
公式サイト ⇒笠浩二オフィシャルウェブサイト
笠 浩二(りゅう こうじ、1962年〈昭和37年〉11月8日 - 2022年〈令和4年〉12月14日)は、日本のミュージシャン、ドラマー、ソングライター。身長は165cm。血液型はAB型。
1980年代に一世を風靡したロックバンドC-C-Bのメンバーとして知られる。後年は熊本県の南阿蘇村に移住し、九州を拠点として音楽活動を行った。 伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。(2023年7月)
来歴
アマチュア時代
福岡県生まれ[1]、東京都足立区育ち[2]。二人兄弟の長男。
中学校に進学、入学式でブラスバンド部が新入生歓迎のための演奏を行った際に初めて生のドラムの音を聞き、先輩が叩く姿がとても格好よく目に映ったことが「自分もドラムを演奏したい」と思った切っ掛けであるという。音楽(演奏)に惹かれた笠は自らもブラスバンド部に入部したが、暫くはホルンやトランペットなどの管楽器を担当することになった。並行してドラムの練習も行い、中学3年生になるころに演奏が形になったという[3]。アマチュアバンド活動を始める。
高校進学時に“TAMA”のドラムセットを入手(購入にあたり両親に全額支払って貰い、笠はアルバイトで得た給料から少しずつ両親に返済した[3])。暫く後、先の先輩が所属していたバンド・“ステーション”を脱退するにあたり、後任ドラマーとして推薦された笠が加入。ステーションには渡辺英樹と田口智治が在籍していた。いくつかのコンテストに出場、ベストドラマー賞を獲得することもあった。この頃からプロのドラマーを志すようになる。
プロデビュー以降
1983年(昭和58年)、シングル『Candy』でメジャーデビュー。
セカンドシングル『瞳少女』レコーディング時、スタジオミュージシャンの林立夫が持参した電子ドラム・“シモンズ”に強く惹かれた[4]。しかし、当時の価格で100万円を超える高額なシモンズを一括で買うだけの財力が当時の笠にはなかったため、楽器総合卸問屋・神田商会に熱意をもって掛け合い、分割払い(100回)での購入契約を取りつける。両親や[1]音楽プロデューサーの渡辺忠孝らからの援助もあり、念願のシモンズを入手した[4]。