17世紀のイングランド、ジェームズ2世は邪悪な道化師バーキルフェドロの口車に乗って、政敵クランチャーリー卿を鉄の処女で処刑し、卿の幼い息子グウィンプレンの顔に外科手術によって永遠の笑いを刻みつける。雪の中に捨てられたグウィンプレンは女の赤ちゃんを抱いたまま死んでいた母親を発見。グウィンプレンは赤ちゃんを抱いてさまよい歩き、やがてウルシュスという男に拾われる。女の子デアは盲目であることがわかる。
成長したグウィンプレンは見世物「笑い男」となり、ウルシュス、デアと旅を続けている。グウィンプレンとデアは愛し合っている。
そこに、グウィンプレンの出生の秘密を知るバーキルフェドロや、グウィンプレンを誘惑する女公爵ジョシアナが現れ……。
キャスト
メアリー・フィルビン……デア
コンラート・ファイト……グウィンプレン/クランチャーリー卿[5]
ブランドン・ハースト……バーキルフェドロ
オルガ・バクラノヴァ……女公爵ジョシアナ
チェザーレ・グラヴィナ……ウルシュス
スチュアート・ホームズ
ユニバーサル・ピクチャーズはヴィクトル・ユーゴー原作の『ノートルダム・ド・パリ』(1923年)の映画化の成功を受けて、主演したロン・チェイニーの次回作を熱望した。『オペラ座の怪人』の映画化が提案されたが、ユニバーサルの重役たちが拒否。代わりにユーゴーの『笑う男』が持ち上がった。原作が出版されたのは1869年だがイギリスとフランスでは不評で成功しなかった[6]。とはいえ、1908年にフランスのパテで、1921年にオーストリアのOlympic-Film社で、二度映画化されていた[7]。
チェイニーと契約したにもかかわらず、制作は始まらなかった。理由は、フランスのスタジオ Societe Generale des Filmsから映画権を取得できなかったからである。契約は変更され、代わりに作られたのが『オペラの怪人』(1925年)だった[8]。『オペラの怪人』成功の後、ユニバーサルの社長カール・レムリは再び『笑う男』の映画化に向けて動き始めた[9][10]。レムニは『裏町の怪老窟』が国際的に評価された[11]パウル・レニ監督をハリウッドに招き、まず『猫とカナリヤ』を撮らせた[12]。さらに、『裏町の怪老窟』でレニと組んだコンラート・ファイトをチャイニーの代わりに主演させることにした。ファイトは『カリガリ博士』に出演したことでも知られていた[13][14]。一方、デア役は『オペラの怪人』でチャイニーの相手役を務めたメアリー・フィルビンを起用した[5]。
美術には『猫とカナリヤ』でレニと組んだチャールズ・D・ホール[14]。グウィンプレンのメイクを担当したのはジャック・ピアース[14]。
ユニバーサルはこの映画に当時としては破格の100万ドル以上を投じた[15]。 サイレント映画の上映では通常、劇場で音楽の伴奏がつけられる。ピアノだけの場合もあるし、オーケストラの場合もあるし、劇場によってばらばらだった。フォトプレイヤーやシアターオルガン
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