笑い
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笑うことで筋肉が働き、また動くことにより、ストレスが解消され、鎮痛作用たんぱくの分泌を促進させ、ストレスが下がることにより血圧を下げ、心臓を活性化させ、運動した状態と似た症状を及ぼし、血液中の酸素を増やし、さらに心臓によい影響を与えるなど、様々な説明がなされるが、科学的に実証されているわけではない。笑うと気分がよくなるなど、経験的には好ましい印象があることから、臨床においては、笑いの効用を期待して循環器疾患の治療過程に取り入れる試みもある。2019年山形大学医学部は、滅多に笑わない人はよく笑う人に比べて死亡率が2倍にのぼり、脳卒中などの心血管疾患の発症率が高いことを発表した[5]が、笑いと健康との疫学的調査では、方法面での制約から、レトロスペクティブなアプローチが用いられることが多く、マスコミを通して通して報道される研究結果の解釈は慎重に行わなければならない。

また、笑い発生の機序として、てんかん患者の「笑い発作」の症例から側頭葉視床下部が笑いの起点となっていることが示唆されており、副交感神経系優位に伴う顔面神経核の働きにより強制的な笑顔が生じると考えられている。[6]
笑いの分析

系統発生的に見ると、人間の笑いは、霊長類におけるコミュニケーションの手段から進化したものではないかと言われている。オランダの比較行動学者van Hooffは、サルにおける2種類の笑いの表情である劣位の表情と遊びの表情が、人間における笑いの表情に発展していったと説明している。サル社会において、劣位のサルが優位のサルに出会った時に示す無声の歯をむき出す「劣位の表情」が、人間における挨拶の際に示す微笑のような「社交上の笑い」(smile)に発展し、子ザルに多く見られる攻撃のない遊び場面で示すリラックスして口を開いている「遊びの表情」が、人間における「快の笑い」(laughter)へ進化したものであると考えている[3]

個体発生的に見ると、赤ちゃんが初めて見せる、授乳後の満足した笑いが「快の笑い」の始まりと考えられている。生後6ヶ月になると、母親や周囲の人間に対して見せる笑顔が彼らの笑いを誘うことを学習するようになり、この笑いによるコミュニケーションの成立が「社交上の笑い」の始まりと言われている[3]

よって系統発生的および個体発生的に見て人間の笑いは、「快の笑い」と「社交上の笑い」に二分することができる。医学博士の志水彰は更に、「緊張緩和の笑い」をこれに加えて三分することを提案している[3]

「快の笑い」は自己の欲求が充足される満足感や他者に対する優越感を覚えた時、更には事象間の不釣合いを感じた時に発生する。「社交上の笑い」は社会生活における対人関係の中で見られる。「緊張緩和の笑い」は、ストレスを感じる強い緊張状態から解放された時や、ある程度の緊張を伴うが後に無害なものと分かって安心し弛緩する時に生ずる笑いなどがある[3]

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、可笑しさを「他人に苦痛や害を与えない失策または不恰好」と定義し、笑いの本質は「他人を軽蔑し見下すことから生ずる快感、つまり優越感」であるとする「笑いの優位説」を打ち立てた[3]。イギリスの哲学者ホッブスも同様に笑いの優越説を提唱し、笑いとは、他人の劣等性または過去の自分の劣等性と比較して、現在の自分の優越性を突如認識することから生ずる勝利の感情以外のなにものでもないと考えた[3]

ドイツの哲学者カントは、笑いをある張り詰めた期待がにわかに無に転化することよって生ずる一つの情動と捉えた。この考えは、束縛から解放されることで笑いが生ずるという点で「笑いの緊張解放説」と言われる[3]

日本の落語家の桂枝雀(2代目)も、落語を聞いて笑いが生ずるのは、非現実的な物語の世界でハラハラしていた客をサゲによって一瞬に現実へ連れ戻す時、最高潮に達した緊張が突然緩和されることによるとする、「笑いの緊張緩和説」を唱えた[3]

ドイツの哲学者ショーペンハウエルは「笑いの不一致説」を提唱した。彼によると、「笑い」はある概念と、これと関連して考えられた事物とが一致しないと突然分かったときに生ずるものであり、両者間の不一致の程度が大きいほど可笑しさの感情が増していくものなのである[3]

これに対し、イギリスの哲学者スペンサーは同じ不一致(不調和)でもその方向性によって異なるとし、予期していた小さな事柄が予期しない大きな事柄になった時(上昇的不調和)、その不調和に対して驚異を感ずるが、逆に大きな事柄から小さな事柄へ意識が不意に移行する時(下降的不調和)、その不調和に対して笑いが生まれると主張した。別の言い方をすれば、下降的不調和を感じた時、これまで蓄積された緊張が解放され、それが笑いという行為となって現れるということで、この点においてカントの提唱した「笑いの緊張解放説」に通ずるものがある[3]

ハンガリーの思想家ケストラーは、笑いの不一致説とは逆に、不一致なもの或いは関係のない別領域のものが同一平面状で結合する時でも笑いが起こるという、「笑いの二元結合説」を提唱した[3]

スコットランドの心理学者ベインは、自分よりも遥かに上位に位置する他者が自分と同じレベルあるいはそれ以下に転落する時に生まれる笑いは、優越感から来るものではなく、権威や威厳のある者や事柄が卑俗化することによって生ずるものであるとする、「笑いの卑俗化の理論」を提唱した[3]

フランスの哲学者ベルクソンは「笑い」という本のなかで笑いの記述法則を6つ提示し、笑いというものをより体系的に捉えようとした[3]

オーストリアの精神科医フロイトは、精神分析的立場から笑いの心理的メカニズムを説明する理論を「機知?その無意識との関係」という論文の中で展開した。フロイトは意識下に抑圧するための内的な力を心的エネルギーと呼び、超自我の検閲に引っかかるような攻撃的なもの(からかい・皮肉)や性的なもの(露出・猥褻)は理性による抑圧を受けているが、機知によってこの抑制が不要になれば心的エネルギーは節約され、その節約された分のエネルギーが笑いとなって消費される。滑稽やユーモアにも笑いの源泉となる快感を生じさせる作用があり、我々の認識活動には多くの表象を必要とするが、一つの動作または短い文句で済まされるような滑稽な場面では期待していたことが起きず、そのために準備していた多くの表象が不要となり、その分の心的エネルギーが節約され余ったエネルギーが笑いとして消費される。またユーモアのある動作や言葉は、怒りや苦痛、恐怖といった感情興奮を不要なものにしてしまうため、その分の心的エネルギーが節約されて笑いを生む。フロイトによる笑いの理論を簡潔に言うと、「心的エネルギーの消費が節約されることで快感を得、その節約された余分なエネルギーが笑いとなって放出される」または「節約された心的エネルギーの運動エネルギーへの変換」となる[3]

心理学者の柴原貞夫は、優越の笑いもまた、自分が相対的に相手よりも優位であると感じた瞬間、心的緊張力が低下するため、エネルギー転換による笑いが生ずると説明している[3]

精神科医の小此木啓吾は、強者の能動的な笑いと弱者の受動的な笑いを区別し、強者の笑いは笑うという点において加害者でありサディスティックな性質を持っているが、弱者の笑いは笑われるという点で被害者でありマゾヒスティックな性質の甘えや媚びへつらいの特徴がある。サディスティックな笑いは、優越感や勝利感を味わう時に生ずる自己中心的な性質があり、ナルシスム的快感を伴う。無意識に存在するいやな自分を他人に投射し、他人を笑いものにすることによっていやな自分への不快感や軽蔑を解消し、心理的優位性を感じ、自我感情の高まりを経験する。この笑いは自分自身に快感を与えてくすぐり続ける自己愛的活動とも言える。また、可愛い、愛しいものに対する笑いも、笑う側の優越者、支配者としてのナルシシズムの確認作用である。更に、社会的な笑いにも、お互いが自分自身をくすぐり合って快感を得るというナルシシズムの共有が存在すると指摘している。


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