笈埃随筆
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塘雨と同様の旅に出た橘南谿の著した『東遊記』『西遊記』両書は世間に好評をもって迎えられ、何度も板行を重ねたが、その執筆には塘雨の旅と『笈埃随筆』の影響が大であったと指摘でき、両書の板本においては全く『笈埃随筆』に拠った章も存在する[9]。一方で塘雨も『笈埃随筆』中に南谿の両書からの引用を行っており、両者の交友の密であった事が窺える[10]

なお、現伝『笈埃随筆』中にはしばしば「嘉栗云」といった補記があるが、その嘉栗は仙果亭嘉栗(紀上太郎)の事と思われる[2]



脚注^ 『講談社日本人名大辞典』、講談社、2001年。
^ a b c d e f 丸山季夫「解題」(『日本随筆大成<第二期>』第12巻)。
^ 以下、鉤括弧による引用は『続近世畸人伝』から。
^ 『笈埃随筆』巻之一「活世の弁」。
^ a b c 『続近世畸人伝』。
^ 筑紫箏の組唄に註を施したもので、伴蒿蹊はその添削とを寄せる事を乞われたという(『続近世畸人伝』)。
^ もっとも塘雨の歿後直後に花?も歿している(『続近世畸人伝』)。
^ 鈴木「東西遊記 解題」。
^ 鈴木「東西遊記 解題」、宗政「東西遊記 解説」。
^ 佐久間正圓『橘南谿』(橘南谿伝記刋行会、昭和46年 )。

参考文献

鈴木棠三「東西遊記 解題」(日本庶民生活史料集成第20巻所収)、三一書房、1972年

三熊花?(伴蒿蹊補筆)『続近世畸人伝』、寛政10年

宗政五十緒「東西遊記 解説」(東洋文庫『東西遊記』1所収)、平凡社、昭和49年

『日本随筆大成<第二期>』第12巻、吉川弘文館、昭和49年

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