竹脇無我
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加藤剛「一緒に仕事ができてよかったと感謝しています。人生の中で大きな位置をしめる友人でした」「40年以上の付き合いだが、親友役として脇に回してもらったのは私。オフステージは無我ちゃんが主導していた」[15]

西郷輝彦「うつ病を乗り越えて、さあこれからだという時期だったから残念ですね。よく飲んだり、ケンカをしましたよ」「いずれ僕も行くけど、すぐには行けないから、森繁のおじいちゃんや松山英太郎くんとそっちで仲良くしていてください」

草笛光子「甘ったれのところもあって、かわいくて純粋な人。一緒に舞台をやっていて楽しい人でした。相手役がいなくなって寂しい」

いしだあゆみ「森繁のおじいちゃんに怒られていますよ、早く来すぎだって」

関口宏「無我っていい名前だな。言わなかったけど。修行僧が到達する世界。生きてるうちは我がたっぷり出ていたが、これで無我になるんじゃないか」[15]


家族

1970年に結婚、2人の娘が生まれたが、十数年の別居生活の後、1997年に離婚した。後年には内縁の妻と同居しており、前妻・娘2人・内妻に見守られながら息を引き取った[7]。1970年代後半から1980年代にかけては、十朱幸代土田早苗を始めとする共演女優との不倫スキャンダルが週刊誌にしばしば報道された。
森繁久彌との関係

竹脇無我の父・
竹脇昌作と森繁久彌はNHKアナウンサー1期の同期生であり、親友同士でもあった。『だいこんの花』で初めて共演して以来、多くの森繁作品に出演している。また、無我は森繁と自殺した自分の父の姿とがだぶることから、彼を「オヤジ」と呼び慕っていた。

森繁の葬儀の際には「生きてますからね、心の中では別れられないですよ…もう一度、会いてえ…」と慟哭した[16]

その他

2001年3月1日放送の『
笑っていいとも!』出演時、「うちの事務所の井澤健(イザワオフィス社長)って人は凄い人でね、あの人だけは尊敬できるんですよ」と語り、また、「自分の名前を若い人が半分くらいしか分からない」で落ち込み、終盤の方では「これで、また名前を覚えてもらえる」とテンション高く語った。

1995年、当時新日本プロレス(現・ドラディション)所属の藤波辰爾は「プロレスの原点回帰」の理想を掲げ、「無我」という興行を立ち上げた。翌年、みちのくプロレスザ・グレート・サスケはこれに対抗し、10月、両国国技館で「竹脇」なる興行を行った。当時のサスケはもっともらしい説明をしていたが、当然、竹脇無我に由来する興行名である。

一方で本人は、1975年12月12日に東京スポーツが行ったインタビューで、プロレス好きを公言していた。開口一番「昨日プロレス見に行ってねえ、隣の記者が何も知らなかったもんだから、僕が全部解説しちゃったよ」と語り、その後は取材記者とプロレス談義に花を咲かせたという。当時の贔屓レスラーはドリー・ファンク・ジュニアハーリー・レイスで、その理由は「いやあ、体が大きくて寂しげなレスラーが好きなんです」とのこと[17]

アグネス・チャンは日本デビュー以前は無我のファンであったと公言している。日本に来て吹き替えドラマではない生の無我の声を聞き、感動したという。

神田正輝ら後輩からは「無我爺」と呼ばれ、慕われていた。

ためしてガッテン』に出演した際、魚の切り方について持論を強く語っていた。

田村正和とは松竹の同期で、退社後も親交があり、竹脇が自宅を建てた際は田村の自宅にあった梅の木を竹脇の自宅に移植したというエピソードを、田村が徹子の部屋に出演した際に話した[18]

向田邦子とはTBSの『ヤング720』以降、公私ともに親しくなり、向田の葬儀の際に弔辞を読んだのも無我である。向田邦子全対談の中で、「向田さんは僕のような役者をわかってくれる数少ない一人だった。向田と別れた後も、僕はこの仕事を続けていかなくてはならない。年とった僕も書いてほしかったのに」と語っている。

加藤の追悼文によると、京都で撮影中に無我の長女が誕生したが、加藤の宿舎の方が病院に近かったため、父親である無我より先に加藤が病院に駆けつけてしまった[10]

『姿三四郎』や『二人の世界』は香港・中国でも人気を博した。とくに『姿三四郎』は文化大革命終了後の中国においては当時の中国の若者に強い影響を与えた[19]

出演
映画汐風の中の二人』(1966年)

しかも彼等は行く(1960年) - 井上梅吉役

めぐり逢う日まで(1961年) - 横山晃役

京子の初恋 八十八夜の月(1962年) - 三島明役

千客万来(1962年) - 前川孝一役

パラキン九ちゃん 申し訳ない野郎たち(1962年) - 工藤役

晴子の応援団長(1962年) - 岡部一郎役

「可否道」より なんじゃもんじゃ(1963年) - 高畑役

男の影(1964年) - 長谷川義夫役

乾いた花(1964年) - 歌手役

忍法破り 必殺(1964年) - 栗田兵七郎役

暗殺(1964年) - 宮川進吾役

恋人よ(1964年) - 川村役

アンコ椿は恋の花(1965年) - 主演・南修一役

青雲やくざ(1965年) - 小牧信次役

おゝ猛妻(1965年) - 山川賢役

馬鹿っちょ出船(1965年) - 島田良介役

続青雲やくざ 怒りの男(1965年) - 小牧信次役

サラリーマンの勲章(1965年) - 北中寿夫役

呼んでるぜあの風が(1965年) - 川北小六役

火の太鼓(1966年) - 与之吉役

天下の快男児(1966年) - 小野浜次郎役

望郷と掟(1966年) - 留次役

フォークで行こう 銀嶺は恋してる(1966年) - 亘軍平役

日本ゼロ地帯 夜を狙え(1966年) - 衆木直也役

かあちゃんと11人の子ども(1966年) - 善作役

汐風の中の二人(1966年) - 浅海健太役

熱い血の男(1966年) - 榊拓次役

男の魂(1966年) - 仙波三郎役

神火101 殺しの用心棒(1966年、國泰電影、林翠と共演)

九ちゃんのでっかい夢(1967年) - 平清彦役

また逢う日まで 恋人の泉(1967年) - 竹田正敏役

若社長大奮戦(1967年) - 丹下次郎役

大番頭小番頭(1967年) - 原野正二郎役

女の一生(1967年) - 芳吉役

若社長レインボー作戦(1967年) - 丹下次郎役

爽春(1968年) - 小林一人役

虹の中のレモン(1968年) - 前田健役

夜明けの二人(1968年) - 沢本明役

ケメ子の唄(1968年) - 桂次郎役

結婚します(1969年) - 北川浩太郎役

わが恋わが歌(1970年) - 次男健次役

夕陽が呼んだ男(1970年) - 相良優一役

姿三四郎(1970年) - 姿三四郎役

青春大全集(1970年) - 阿部吾郎役

人生劇場(1972年) - 青成瓢吉役

花と竜(1973年) - 玉井勝則役

流れの譜(1974年) - 菅原忠淳役

球形の荒野(1975年) - 添田彰一役

喜劇 百点満点(1976年) - 病院の医者役

BIG-1物語 王貞治(1977年) - ナレーター

水戸黄門(1978年)加賀藩士 - 石川隼人役

小説吉田学校(1983年) - 佐藤栄作

化粧(1984年) - 椎名役

姉妹坂(1985年) - 岩城役

植村直己物語(1986年) - 石山役

おれは男だ!完結編(1987年) - 吉川の上司役

五重塔(2007年) - 熊谷常光寺 老円上人役

次郎長三国志(2008年) - 和田島の太左衛門役

ふうけもん(2008年製作、2014年公開)※遺作

大奥(2010年) - 水野の父役 ※最後の出演

テレビドラマ

絹のドレス(1964年、TBS
近鉄金曜劇場) - 主演

東芝日曜劇場TBS

第485回「流鏑馬(やぶさめ」(1966年)

第599回「女の顔」(1968年)

第1160回「もう一度海へ行きたかった」(1979年)

第1204回「女と味噌汁・その38」(1980年)

第1214回「しづやしづ」(1980年)

第1265回「思い違い」(1981年)

第1299回「夫婦の想い」(1981年)

第1382回「ああ!長男長女」(1983年)


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