竹生島
所在地 日本・滋賀県
所在海域琵琶湖
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分23.8415秒 東経136度08分37.8616秒 / 北緯35.423289306度 東経136.143850444度 / 35.423289306; 136.143850444 (竹生島)
竹生島(ちくぶしま)は琵琶湖北部にある無人島で、全域が滋賀県長浜市早崎町に属する。琵琶湖では沖島に次いで面積が2番目に広い。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。2015年(平成27年)4月24日、「琵琶湖とその水辺景観? 祈りと暮らしの水遺産 」の構成文化財として日本遺産に認定される[2]。 葛籠尾崎
地理的概要
島の南側に竹生島港と呼ばれる港が1箇所あり、下記「交通アクセス」の項目にある各港からの航路がある。宝厳寺、都久夫須麻神社と数軒の土産物店が港の近くに所在する。寺社関係者ならびに店舗従業員は、いずれも島外から通っており、夜間は宿直者が泊まっている。
竹生島の南岸、竹生島港から西に向かって島を回ると竹生島で最も雄大な断崖が広がり、東から順に笈岩、?風岩、富士岩、笠岩、稚児足跡岩、盗賊岩、荒神岩、夕立岩と呼ばれる奇岩が並ぶ。東岸、竹生島港から東に向かって島を回ると仁王崎が南南東に向かって伸び、その根元には都久夫須麻神社本殿、先端には神社拝殿と聖武天皇供養塔がある。さらに東に回ると、?風岩と呼ばれる切り立った崖がそびえ、北東に小島が隣在する。そのさらに北側の崖に霊窟と呼ばれる洞窟が開いており、行者の修行に利用されている。北西には、断崖で囲まれた竹生島の唯一の砂浜である弁天浜が広がる。
2015年(平成27年)12月18日、滋賀県教育委員会は竹生島のタブノキ林を、滋賀県天然記念物に指定した[4]。 島を形成する花崗岩は約5700万年前の白亜紀末、日本列島が形成されておらずユーラシア大陸の東縁部だった時代に、葛籠尾崎と同じ地層(緑色岩類)の下部に嵌入してきたものである[5][6]。日本列島が大陸から分かれて現在の位置に移動[7][8]するまでの間に、上部の緑色岩類が侵食されて花崗岩が地上に出現した[5]。 この花崗岩には顕著な節理が発達しており、割れ目の多い切り立った崖が全島を取り巻く景観を生んでいる。地震の振動や湖水の波の作用によりこれらの節理に沿って岩盤が落下し、その結果、崖には大小の洞窟が形成されている。島の北側の行者洞もその一つである。また、正中2年(1325年)の地震(M6.5)では琵琶湖の北方で山崩れが生じ、竹生島では奥之院が倒壊して湖水に沈んだり、竹生島が崩壊して島の半分が湖水に没したりしたという伝承がある。このような崩壊には節理が大きな役割を果たしたと考えられている[9]。 後述のカワウによる害が発生するまでは、島全体が常緑樹で覆われていた。1972年から1973年の滋賀県内植生調査資料によると、当時は、高木層はシイやコジイ、ヤブニッケイ、モチノキなどによって覆われ、亜高木層では、日光があまり注がれない薄暗い環境に適するヤブニッケイやモチノキ、シロダモ、ヤブツバキなどの常緑種を主とし、比較的明るい場所にタラノキが生育していた[10]。低木層ではヤブニッケイやアオキ、ヤブツバキ、チマキザザ
地理・植生