のちに日本軍の思想統一を図る軍人勅諭発案や、軍内部の秩序を維持する憲兵創設のきっかけとなり、また近衛兵以外の皇居警備組織として門部(後の皇宮警察)を設置するきっかけとなった。事件の内容は明治11年の各新聞に時系列を含めて詳細な行動が広く伝えられ、新聞社は号外も出したほどだった。陸軍省も竹橋事件についての発表を行い、各府県に通達し、それを新聞も報道している。近年では、行動の背景に自由民権思想の影響があったとも考えられている[6]。
脚注^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p28
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p31
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p235
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p187
^ a b c 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p18
^ a b 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p35
^ 岩倉具視書翰 大木喬任宛 明治11年8月23日『大木喬任関係文書』国会図書館 資料請求番号S38-001
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p20
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p206
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p284
関連文献
澤地久枝 『火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』 岩波書店〈岩波現代文庫〉、2008年(平成20年)。初刊・角川書店、1978年(昭和53年)。
早乙女貢 『近衛兵の叛乱―竹橋事件顛末記』 新人物往来社、1978年(昭和53年)。
竹橋事件百周年記念出版編集委員会編 『竹橋事件の兵士達』 徳間書店、1979年(昭和54年)。
石光真人編著『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』 中央公論(中公新書)、1971年(昭和46年)(pp.121-123)。
典拠管理データベース: 国立図書館