竹橋事件
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士官でも岡本少佐のほか、近衛砲兵大隊第2小隊長[9]の津田震一郎大尉、松尾三代太郎騎兵大尉らが官職剥奪で除隊、甲斐宗義大尉が降官、川上親枝中尉、池田綱平少尉、松村恒久大尉らが停職となった[10]。事件に直接参加していない兵士、民間人1名を含め、全体で処罰を受けたものは394名だった。
影響

のちに日本軍の思想統一を図る軍人勅諭発案や、軍内部の秩序を維持する憲兵創設のきっかけとなり、また近衛兵以外の皇居警備組織として門部(後の皇宮警察)を設置するきっかけとなった。事件の内容は明治11年の各新聞に時系列を含めて詳細な行動が広く伝えられ、新聞社は号外も出したほどだった。陸軍省も竹橋事件についての発表を行い、各府県に通達し、それを新聞も報道している。近年では、行動の背景に自由民権思想の影響があったとも考えられている[6]
脚注^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p28
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p31
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p235
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p187
^ a b c 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p18
^ a b 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p35
^ 岩倉具視書翰 大木喬任宛 明治11年8月23日『大木喬任関係文書』国会図書館 資料請求番号S38-001
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p20
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p206
^ 竹橋事件百周年記念出版編集委員会、p284

関連文献

澤地久枝 『火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱 竹橋事件』 岩波書店岩波現代文庫〉、2008年(平成20年)。初刊・角川書店1978年(昭和53年)。

早乙女貢 『近衛兵の叛乱―竹橋事件顛末記』 新人物往来社、1978年(昭和53年)。

竹橋事件百周年記念出版編集委員会編 『竹橋事件の兵士達』 徳間書店1979年(昭和54年)。

石光真人編著『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』 中央公論中公新書)、1971年(昭和46年)(pp.121-123)。

典拠管理データベース: 国立図書館

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