韓国・北朝鮮においては「独島(獨島、トクト[注 1]、??、Dokdo)」と呼んでいる。韓国では、歴史書『太宗実録』太宗17年(1417年)の条に初出する「于山島」が現在の竹島であるとしており、一時1900年の大韓帝国「勅令第四十一号」にある「石島」という呼称に変わり、1906年までに「独島」という名称に変更したとしている。なお「独島」表記の初出は、日本海軍 防護巡洋艦 新高の1904年9月の日誌にある「韓人これを獨島と書し」という記録があり、この時鬱陵島の朝鮮人が独島と呼んでいたということがわかる[11]。 他の国では、中立的立場から「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。この名称は、1849年にヨーロッパで初めてこの島を発見したフランスの捕鯨船 Liancourt 号の船名にちなんでいる。 竹島は、北緯37度14分30秒、東経131度52分に位置する[注 2][12]。 女島(東島)、男島(西島)と呼ばれる2つの小島とその周辺の総計37の岩礁からなる。総面積は約0.21平方キロメートルで、東京ドーム5つほどの大きさである。最頂部は男島が海抜168メートル(北緯37度14分30.5秒 東経131度51分54.6秒 / 北緯37.241806度 東経131.865167度 / 37.241806; 131.865167
その他
地理・自然
なお、日本の国土地理院が2007年12月に発行した竹島の2万5千分の1の地形図では二つの島について「東島」と「西島」と表記しているが[13]、隠岐の島町では資料の調査や聞き取り調査を行い、2つの島について「女島(めじま)(東島(ひがしじま))」と「男島(おじま)(西島(にしじま))」とするとともに岩礁や湾などの名称を定めて2013年6月に国土地理院に申請した[13][14]。
隠岐と竹島の距離は両島の一番近い所で約157キロメートル、鬱陵島と竹島の距離は両島の一番近い所で約87キロメートルである[注 3]。
地史・地質「対馬海盆」も参照竹島の地図
竹島は、現代からおよそ460万年前から250万年前(新生代第三紀の鮮新世)の海底火山活動により誕生した火山島であり[15]、水深約2,000mの海底から噴出した溶岩が硬化したことにより形成された[16]。朝鮮半島北部の白頭山から金剛山、鬱陵島、隠岐諸島へと連なる白頭火山帯の系列に属する[17]。竹島の火山活動は約250万年前に停止した[18]。当初は1つの島塊であったが、その後の風化と浸食により2つの小島とその周辺の数十の小岩礁の構成となった[19]。
岩石と地質構造の分析結果によると、竹島は単一の火山爆発によって形成されたものではなく、200万年以上の長い期間の断続的爆発と噴火によって形成された[20]。竹島は粗面岩、粗面安山岩(英語版)、玄武岩質角礫岩、凝灰岩など計8種類の岩石によって構成されている[20]。竹島の下部は主に玄武岩質の集塊岩(英語版)であり、上部は粗面岩質の集塊岩と凝灰岩が互層を形成している[20]。岩石の年代は、竹島下部を構成する玄武岩が約460万年前、女島にある火口跡を満たす粗面安山岩が約270万年前であり、島の北西部には約250万年前に貫入した粗面岩が分布している[20]。また火山堆積層が厚く積もった地点があり、断層が2箇所発見されている[20]。