竹島問題
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竹島については、米軍政期にあっても韓国の地図や文献には竹島は描かれておらず、この時期の地理の教科書や地図では韓国領土の東限を鬱陵島としており、竹島を領土外とする状態が長くつづいた[9]。「独島」返還要求は、1948年8月5日の憂国老人会という民間団体がGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーに送った請願書の中で、対馬とともに「独島」と波浪島という実在しない島の返還を求めたのが最初であった[9]
北朝鮮の立場

北朝鮮による領有権の主張は、もっぱら韓国による竹島の実効支配を支持するという形で行われている。北朝鮮は竹島が軍事境界線以北に属するとは主張しておらず、黄海における北方限界線問題のような実効支配をめぐる南北間の対立は存在しない。
「于山」の名が残る朝鮮の古地図


新増東国輿地勝覧』(1530)の付属地図「朝鮮八道総図」部分

1628年の地図(地図の東側、鬱陵島と朝鮮半島の間に于山島がある)

1600年代後半の地図(地図の東側、鬱陵島と朝鮮半島の間に于山島がある)

『廣輿圖』(1737-1776)(鬱陵島の東側に"所謂于山"と書かれた島が隣接している)

金正浩『大東輿地図』(1861)、部分(鬱陵島の東側に"于山"と書かれた島が隣接している)

官撰『大韓地誌』(1899)「大韓全図」部分(鬱陵島の右側に于山と書かれている)

「竹島」が朝鮮の領土と表示された地図


『竹島考證』(1882)、日本で製作され、竹島は朝鮮と同じ色で塗られている。

『竹島渡海由来記抜書控』(1785)、日本で製作された。

紛争の経緯

第二次世界大戦後、竹島を日本の施政権から外していたマッカーサー・ラインは1952年4月のサンフランシスコ条約発効と共に廃止されるが、その直前の1月18日、李承晩が李承晩ラインを宣言し、韓国側水域に竹島を含ませた。日本政府は同月28日に「公海上の線引きに抗議するとともに、竹島に領土権を主張しているかのように見えるがそのような僭称または要求を認めない」との見解を示した[10]。この時点では韓国の竹島に対する領土権の主張は不確実であったが、2月12日に韓国は反論を提示。以降、両国間で竹島の領有権をめぐって文書を交換するようになった[10]。李承晩ラインは韓国が宣言したものであり、日本政府もアメリカ政府もこれを国際法上不当なものと抗議した。1952年7月26日、サンフランシスコ条約発効と同時に日米安全保障条約を発効させた日米両政府は、竹島をアメリカ軍の訓練地として日本が提供することを約する協定を締結したが[11]、竹島周辺海域で漁業を行っている日本人漁民から強い抗議を受けて爆撃演習場から除外をしている[12]。韓国政府はこれをアメリカが竹島を韓国領土として認めて配慮をしたと解釈し、韓国側の竹島領有の根拠の一つとしている[13]。翌1953年1月12日、韓国は李承晩ライン内に出漁した日本漁船の徹底拿捕を指示し、同2月4日には第一大邦丸事件が発生、済州島付近で操業中に漁撈長が韓国軍から銃撃を受け死亡した。同4月20日に韓国の独島義勇守備隊が竹島を占領して以降、韓国警察の警備隊が続けて駐屯している。日本政府は当初より韓国側の不法占拠であるとの声明を出して抗議し続けているが[14]、韓国政府は「李承晩平和線(李承晩ラインの韓国側での名称)は国際的先例のある韓国の主権行為であり、さらにこの問題は1965年の漁業権交渉と請求権交渉ですでに解決済みであって、日本政府があたかもまだ解決されていないかのように宣伝するのは政治的プロパガンダである」との立場を取っている(なお、1965年の漁業権交渉と請求権交渉で領有権交渉については棚上げにされている)。日本は、現在も領土問題は解決に至っていないと主張しているが、韓国側はやはり「そもそも独島に領土問題は存在しない」という立場を崩していない。「マッカーサー・ライン」および「李承晩ライン」も参照
竹島の漁業経済価値と排他的経済水域問題日韓漁業協定による暫定水域

竹島は険しい岩山で面積も狭く島自体から得られる利益はほとんど無いが、周囲の広大な排他的経済水域 (EEZ) の漁業権や海底資源の権利が存在する。現在この島のEEZ内で石油などの海底資源は特に見つかっておらず、現在最も問題になっているのは漁業権である。竹島と周辺海域の経済価値は、1952年の日本の水産庁によれば130億円(李ライン内)、1974年の島根県漁連の算出では年間漁獲高は76億円[15]、2010年の韓国の算出では年間11兆5842億ウォン(約8600億円)である[16]。現在の日韓漁業協定では竹島周辺海域に共同水域を設けているが、韓国側の違法操業が問題になっている。
当時の国際海洋法から見た李承晩ライン詳細は「李承晩ライン」を参照

1952年の李承晩ラインの狙いは漁場としての利益であったともされ、韓国による近海漁業の独占が目的であったとされる[17]


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