竹島問題
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韓国の抗議書簡において「韓国領の独島」とされていたことに対して、1952年12月4日に釜山のアメリカ大使館は「アメリカの竹島の地位に関する認識はラスク書簡の通りである」と韓国外務部に再度通知を行った[注 13]。しかし、1955年に韓国外務部が作成した「獨島問題概論」では、このラスク書簡に触れた部分を「etc.」で省略したアメリカ大使館の書簡を掲載したことが確認されている[62][63]。また、韓国の国際法学者である金明基[64]は、この韓国政府によって隠滅されたアメリカ大使館の書簡によってアメリカの意思が「独島は韓国の領土」と変更されたものとし、ラスク書簡が無効との論拠としている[65]
ターナー覚書

東京領事ウィリアム・テイラー・ターナーは、1953年11月30日付けで「リアンクール論争に関するメモランダム」を本省に提出した[66]。ターナーはこの覚書でまず、ポツダム宣言とラスク書簡をもとに竹島問題にアメリカが不可避的にかかわるべき、というアリソン大使の態度に反対し、この問題に介入すれば「敗者側に永遠の憤りをもたらすだけにおわる干渉」(which could only create lasting resentment on the part of the loser) となるので、不介入で中立政策を採るアメリカ政府の立場を支持する。ターナーによればこの件は、ソ連が占領した色丹島問題と似ている。アメリカは「色丹島が日本の主権に属する」と公式に声明したが、日本はアメリカに対して安保条約に基づく武力行使を要請してこなかった。したがって竹島問題についても、日本人が安保条約を呼び出すのではないかと過度に不安になる必要はない。ただし、「遅かれ早かれ、日本人はラスク書簡について嗅ぎ付け (Sooner or later the Japanese will get wind of the Rusk letter)」、我々がそれを知らさなかったことに憤慨するであろうから、ここで手を打っておいたほうがいい、として以下の行動を提案する。それは韓国側にラスク書簡を示し、それが受け入れられないならば日本と和解するか、国際司法裁判所で解決することを勧める。そして衝突がこれ以上続くならば、ラスク書簡を公にしたうえで、この件の仲介から手を引く、というものである。
ヴァン・フリート特命報告書詳細は「ヴァン・フリート特命報告書」を参照アメリカ陸軍司令官
ジェームズ・ヴァン・フリート

1954年、アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領の特命大使としてアジアを訪問したジェームズ・ヴァン・フリートの特命報告書には、「竹島が日本の領土であること、アメリカの紛争への不介入、国際司法裁判所への付託提案」について書かれ、非公式に韓国政府へ伝達したことが報告されており、竹島を日本領とするシーボルド勧告を追認している。要旨

一方的な海洋主権宣言(李承晩ライン)は違法[注 14]

アメリカ政府はサンフランシスコ講和条約において竹島は日本領土であると結論している。

この領土問題は国際司法裁判所を通じて解決されることが望まれる。
When the Treaty of Peace with Japan was being drafted, the Republic of Korea asserted its claims to Dokto but the United States concluded that they remained under Japanese sovereignty and the Island was not included among the Islands that Japan released from its ownership under the Peace Treaty. The Republic of Korea has been confidentially informed of the United States position regarding the islands but our position has not been made public. Though the United States considers that the islands are Japanese territory, we have declined to interfere in the dispute. Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice and this suggestion has been informally conveyed to the Republic of Korea.(日本との平和条約が起草されていたとき、韓国は独島の領有を主張したが、米国は同島は日本の主権下に残り、日本が放棄する島の中に含まれないと結論づけた。米国は内密に韓国に対し、同島は日本領だとする米国の見解を通知しているが、米国の見解はまだ公表されていない。米国は同島が日本の領土であると考えているが、紛争に干渉することは拒んでいる。我々の立場は紛争が適切に国際司法裁判所に付託されることであり、非公式に韓国に伝達している。)
?1954年(ヴァン・フリート特命報告書 抜粋)
マッカーサー2世による電報ダグラス・マッカーサー2世「s:ja:国務省機密電文3470号」も参照

8年間続いた韓国の李承晩体制が終焉を迎えた1960年、次の政権に移行するときに当時駐日アメリカ大使であったダグラス・マッカーサー2世が、本国国務省に向けて日韓関係改善のためにアメリカが行うべき行為を機密電文で提言している。この電報には、明確に「日本の領土である竹島」を日本に返還させるよう韓国政府に圧力を加えるべきである、と記載されており、1960年当時でさえアメリカはラスク書簡当時と変わらぬ認識であったことが確認できる。同時に、李承晩の外交を「野蛮な人質外交[67]」と非難し、(李承晩ラインによる拿捕によって)人質となった日本人漁民を解放させるように圧力をかけるべき、とも記されている。また、(李承晩後の)新体制になっても姿勢が変わらない場合は、最低限、この件を国際司法裁判所に付託し、仲裁を求めることに合意するよう主張すべきである、という提言も付されている[68]。要旨

韓国に違法に拿捕された日本人漁師の人質を全員解放させること。

日本の漁船を公海上で拿捕する行為をやめさせること。

韓国に人質外交 (hostage diplomacy) をやめさせること。

不法占拠された竹島を日本に返還させること。

竹島が日本に返還されるまで、日韓全体の和平が決着することはない。

国際法上における主権移転

国際法上、一時的な占領は主権の移転を意味せず、たとえ占領等により主権が著しく毀損されていたとしても元の保有国の同意がなければ、主権の移転は発生しない[注 15]。主権の移転には、戦後の処置に関して連合国が竹島の放棄を日本に要求すると共に、日本が竹島の権原や主権の放棄に同意することが重要となる。

韓国の主張の概略日本の主張の概略
1952年10月、駐韓アメリカ大使館は竹島は韓国領土であるという声明を行った。これは当時の国際法から見て、竹島が韓国領であり、4月にすでに発効していたサンフランシスコ条約においても竹島は韓国領という解釈がされていたことを物語っている。

その後、駐韓米国大使館は米国務省の秘密文書で、竹島が日本領であるとするラスク書簡の存在を初めて知ることとなる。これはラスク書簡が米国務省の秘密文書であり、国際的には承認されておらず無効であったことを示す。

その後、米国は韓国政府の要請により、日本の意見を聞かず、1952年12月24日に竹島を爆撃練習場から外し、1953年1月20日に韓国政府に通知した。日米合同委員会には2か月遅れの1953年3月19日に通知した。[69] この事件は、米国が戦略的には竹島が日本領だという立場だが、同時に韓国の主張も受け入れたことを示す。

その後、在韓米国大使館は、現在まで竹島問題に対して立場を明確にすることを回避している。韓国内の米軍基地内では、竹島問題に関して言及することが原則的に禁止されている。1954年のヴァン・フリート特命報告書などもアメリカだけの意見に過ぎない。


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