竹取物語
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第1種 蓬左文庫蔵本・吉田幸一蔵本・久曾神昇蔵乙本・静嘉堂文庫蔵丹羽嘉言筆本

第2種

A群 尊経閣文庫蔵本[注釈 10]・戸川浜男旧蔵本・彰考館蔵金森本・群書類従[注釈 11]・(里村紹巴本)[注釈 12]・(高松宮旧蔵本)[注釈 13]

B群 内閣文庫蔵本・滋岡氏[注釈 14]旧蔵本


第3種

イ種 大覚寺蔵本・書陵部霊元院外題宸筆本・書陵部蔵伊左左米言本

ロ種 徳本正俊蔵本・古活字本[注釈 15]整版本 など

中田によれば、現存する写本(多くの絵巻・奈良絵本を含む)の大半は第3類第3種に属する正保3年版本の転写本である[16]

現在最も一般的な竹取物語の本文は、第3類第3種に属する古活字十行甲本を底本とするものである。
古本系

上賀茂神社三手文庫に伝わる、今井似閑が1707年(宝永4年)に校合・書き入れを行なった1692年(元禄5年)刊本における奥書に、

ある古本を以て一校せしめ畢ぬ

互ニ見合セハ好本と成侍るへし

宝永四亥ノ八月 洛東隠士

とあることから名づけられた。流布本系と比較すると数多くの異文を有しており、より古態を残すとされる。

第1類 後光厳院本(断簡)いずれも南北朝時代(14世紀)頃[注釈 16][17]の一写本から切断された断簡とみられる。伝承筆者後光厳天皇筆とする10葉と、二条為定筆とする1葉の、計11葉が確認されている[18]2021年にこのうち1葉についての放射性炭素年代測定の結果が報告され、鎌倉時代末期から南北朝時代(13世紀末から14世紀末頃)の書写であったことが確認された[19]

第2類 新井本
新井信之が所蔵していたもの。1942年(昭和17年)前後に出現した写本である。

もむけとゝせあまりふたとせ

なかつきころうつす ながとき[注釈 17]という奥書を持つ。すなわち1815年(文化十二年)の写本で、古本系統で唯一の完本である。第3類の諸本よりも第1類の本文に近いとする説(中田剛直南波浩など)、第3類第2種のごとき三手文庫本系の転写本であるとする説(吉川理吉[20]、中川浩文[21])、逆に第1類より上位の本文であるとする説(中田武司[22])があるが、中田剛直は、三手文庫本の「古本」には極めて近似しているも全くの同一ではなく、後光厳院本本文と比較すると似閑の校合ミスと思われる異文が見られる[23]ことからも、三手文庫本の転写ではなく、古本系内の別系統本としている。

第3類

第1種 三手文庫本・桃園文庫太氏本

第2種 光藤本・京大本・書陵部蔵恬斎書入本・桃園文庫書入写本・平瀬[注釈 18]服部本・(賀茂経樹旧蔵(中川浩文蔵)本)[24]
全て三手文庫本の転写であり、流布本系の本文に対する書き入れ・校合の形で伝えられる[25]

上記の他に、伝承筆者を阿仏尼とする古筆切の存在が藤井隆によって報告されている[注釈 19][26]

なお、和歌の一部が鎌倉時代の『海道記』や『風葉和歌集』、室町時代の『塵荊抄』に、梗概としての本文が室町時代源氏物語梗概書である『源氏物語提要』や注釈書である『花鳥余情』(共に絵合巻についての記事)に、それぞれ引用されている。

古本系本文と流布本(通行本)系本文については、南波浩は『海道記』に引用された和歌二首が、一首が古本系からの引用であるのに対し、もう一首が流布本系と古本系を混用したものになっていることから、鎌倉時代中期頃には既に両系が並立していたとする[27]

古本系本文に対しては、「中世における改変本文の可能性が強い」(片桐洋一[28]「江戸時代の学者が『竹取物語』の不審部分を合理的に理解しようとしてテキストをいじくったもの」(保立道久[29]といった批判的な意見もあるが、中田剛直は『花鳥余情』の梗概本文は新井本に近い古本系の一本に近似すること、古型をもつと指摘される京大本や狩野文庫本などの『風葉和歌集』の竹取和歌が古本系であることから、「現存古本系統系の一本が、通行本系に先行せるものではないか」[30]とし、上原作和も「まさに「古本」と称する価値の本文を有するもの」[31]と述べるなど肯定的な意見もあり、意見が分かれている。


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