竹下景子
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身長157cm(1976年4月)[4]
経歴
出生から学生時代まで

愛知県名古屋市東区生まれ[5]。父親の重人は国税局の職員で名古屋国税局から国税庁に転勤となったため[6]、4歳から1年間は東京都中野区板橋区[6]、5歳から10歳までは東京都東村山市で育った[5][7]2009年「東村山市しあわせ大使」に就任した[8]

小学校4年の時、父が国税庁を辞め弁護士になるための勉強を始めたため公務員住宅には住めなくなり、名古屋に戻ってからは高校卒業まで同市緑区で育った[5][6]。母は名古屋市東区の出身[6]

東村山市立南台小学校から名古屋市の小学校に転校し、南山中学校・高等学校女子部東京女子大学文理学部社会学科を卒業した[1]。中学・高校では演劇部に所属した[1]
芸能界へ

高校1年生の時、ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のイベントに一般リスナーとして参加した際、パーソナリティを務めていた俳優の天野鎮雄NHKの『中学生群像』(『中学生日記』の前身)を紹介され、ドラマデビューを果たす。共演した三ツ矢雄二戸田恵子とは名古屋時代からの幼馴染で50年に亘る友達でもある。大学進学で上京後、三船プロに所属して本格的に女優として活動を始める[1]。1973年、NHK『波の塔』で本格デビュー、以後多くのテレビドラマにレギュラー、ゲスト出演する。1975年、黒木和雄監督の『祭りの準備』に新人で主演した江藤潤の恋人役として出演し、ヌードを披露する[1]

1976年10月からは『クイズダービー』のレギュラー回答者として出演して「三択の女王」と呼ばれ、人気を獲得する[1]

1977年、テレビドラマの『女の河』『天の花と実』[9]などに出演した。同年、政治家・荒舩清十郎が雑誌の企画で対談し、「息子の嫁さんにしたい」と言ったところから「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われ、人気が沸騰する。1970年代から1980年代にかけては最も多忙な女優の1人となった[1]

1978年の『黄金の日日』に準レギュラー出演以降、大河ドラマにも数本出演した。

春には初のレコード「結婚してもいいですか」を出す。

また映画『犬笛』で、原田芳雄率いる犯罪グループに加担しながら裏切って輪姦されたあと、半裸で首だけ出して雪の中に埋められる女医役を演じて話題となる(直接の輪姦描写はなく、雪の中も下着姿)。

映画スターに育てようと、名乗りをあげたのは三船プロの親筋にあたる東宝だった。用意されたのは、アイドル用のプログラムピクチャーではなく、監督・岡本喜八と脚本・倉本聡の両鬼才初顔合わせに仲代達矢以下のオールスターを並べたSF大作『ブルークリスマス』の主演だった。同時に同じ勝野洋とのコンビで日本テレビから『姿三四郎』も東宝製作で放映された。映画の方はヒロインを含めた世界同時大虐殺で終わるショッキングな政治SFであり、まったくの不入りに終わった。

1979年以降、『犬笛』『ブルークリスマス』と続いた(その前の『雨のめぐり逢い』も犯罪劇である)激しい非日常路線は軌道修正される。岡本監督への『英霊たちの応援歌』への連続出演などを経て、山田洋次のもとで、ようやく身近な世界で優しく可憐な持ち味を発揮する。

男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』は、小林信彦らにシリーズ後半の最高傑作と賞賛される成果となり、寅次郎との思いがすれ違いで終わるマドンナを好演する。好評を受けて、シリーズでは唯一人、別々の役で三度マドンナ起用され、テレビでは『北の国から』へも起用されて代表作となる[1]。岡本、山田、倉本といった巨匠に連続指名を受けたことで、女優業はひとつの軌道に乗った形となる。市川森一との協業も続く。ただ、不思議と映画主演に縁がなく、『雨のめぐり逢い』『ブルークリスマス』『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』などはいずれも共同主役だがクレジットトップではない。

前述の映画『犬笛』並びヌードになった『祭りの準備』[注 1]、ドラマでも当時「お嫁さんにしたい女優No.1」と言われた竹下が主人公のソープランド嬢[注 2]を演じた『ソープ嬢モモ子シリーズ』も話題・計8作の製作がされた人気シリーズとなり竹下の代表作となった[10]、以後も清純なイメージは失わなわれかった稀有な女優となった。

熱烈な中日ドラゴンズファンとしても知られ、2005年ナゴヤドームでの横浜DeNAベイスターズとの開幕戦では始球式を務めた。

2005年から国際連合世界食糧計画WFP協会の親善大使を務める[11]

2009年1月17日神戸市で行われた、阪神・淡路大震災の追悼イベントに来賓として出席し、を朗読するなどしていたが、その最中に、開催場所の神戸情報文化ビルで、不審火と見られる火災が発生し、来場者と共にビル外へ避難する騒動に巻き込まれた。

2011年1月26日、2年の任期で京都国立博物館の初代文化大使に就任した。

2015年5月3日日本大正村第3代村長に就任した[12]

2021年1月4日、『徹子の部屋』出演時に、昨年から白髪染めを止めてグレイヘアにした事を黒柳徹子に話している。
名古屋(愛知県)出身の芸能人として

1990年代頃まで、名古屋(愛知県)出身の芸能人は出身地をあまり表に出さずに活動する人が多かったが、名古屋出身であることを早い時期から公言していた。レギュラー解答者時代の『クイズダービー』では、大橋巨泉から名古屋ネタをよく振られたり、『クイズダービー』以外のバラエティー番組に出演する際にも、度々流暢な名古屋弁でのトークを披露したりするなど、パーソナリティーのひとつとして広く認知されてきた。名古屋いじりの元祖ともいえるタモリの番組へのゲスト出演も多い。

また、2005年日本国際博覧会では、長久手日本館の総館長を務めた。

NHK連続テレビ小説、第74作目として放送された『純情きらり』は愛知県岡崎市が主な舞台の1つなった作品であり、竹下はヒロイン・有森桜子の母、マサを演じた(語りも兼任)[13]。なお、竹下はこの他にも『ぴあの』で「ヒロインの姉」[14]、『ゲゲゲの女房』で「ヒロインの姑」[15]、『わろてんか』と『おかえりモネ』で「ヒロインの祖母」[16][17]をそれぞれ演じている。


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