競馬
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競走結果に金銭や名誉の譲与が絡む、賭博の対象としての近代競馬の基礎を築いたのは英国とされている[2][3]ピューリタン革命時には賭博の禁止がされたもののほとんど守られず、その後アン王女からも賭博の禁止がされたが、やはり競馬場では賭博が横行していた。[4] [5]

黎明期の競馬は貴族のみが関わるスポーツであり、その傾向は今日のイギリス競馬にも見られる。

イギリスでは馬上槍試合の人気が強かったが、十字軍の遠征をきっかけとして競馬が少しずつ人気を博し始めた。[6] ローマ人による支配の歴史を持つイギリスでは東方の馬の方が優秀であると伝えられており、1121年にはアラブ馬の輸入が始まっている。[6]リチャード1世が王位を継承する以前の時期に書かれた「ロンドン市の描写」では、2頭立て数頭立ての騎乗馬競走が行われていたという記述が登場し、その20年ほど後にはリチャード1世が3マイル以上の高額賞金競走の開催を行っている。[6]

正式のルールに基づき専用の競技用施設(競馬場)において行われる競馬(近代競馬)は16世紀イングランドに始まったとされ17世紀にはフランスアイルランド19世紀にはドイツイタリアでも行われるようになった。また17世紀以降は、ヨーロッパ諸国の植民地であった国々を中心に、アメリカアジアアフリカオセアニアなどの地域においても近代競馬が行われるようになった。

イギリスではリチャード2世アランデル伯爵(のちのカンタベリー大司教、1353年 - 1414年)と所有の馬を用いてしばしば一騎打ちのレースを行っていた[2]1540年にはチェスター郊外のルーディーに初の常設の競馬場(チェスター競馬場)が完成[2]。1666年には亡命先から帰還したチャールズ2世が競馬のレースに王室杯を贈呈している[2]。競馬発祥の地イギリスでは、王侯貴族や有力者によって近代競馬が形創られた過程に鑑みて「スポーツ・オブ・キングス(Sport of Kings)」と形容する場面もある[7]

17世紀中期には、出馬登録や負担重量、検量、反則や失格といったルール作りがされるようになったと記録に残っている。[4] しかし、近代競馬の初期において競技運営は貴族の内輪内、18世紀初頭においても100以上の競技場で競技が行われる中思い思いのローカルルールで運営されていた[8]。世界初の競馬統括組織、ジョッキークラブ1750年以前には存在していたとされるが、貴族やジェントルマンの利用するクラブという形であり、実際に統括組織としての側面を明確に見せるようになったのは1758年3月24日の検量に関する規定指示が最初と言え、これもニューマーケットの範囲での権威である[8]

黎明期のレースは4から6マイル、中には8マイルのものもあり、競馬において用いられる競走馬についてはスタミナに秀でた馬が主流であった[9]。しかし、17世紀後半から18世紀にかけてアラブ種やトルコ馬、バルブ馬などがイギリスへ輸入されて品種改良が行われ、やがてサラブレッドと呼ばれる品種が誕生することで、俊敏性や早熟性を持つ競走馬が増えていった[9]。サラブレッドについては1791年ジェネラルスタッドブックと呼ばれる血統書が作成され、以後その生産において血統が重視されるようになった。そのような競馬の性質の変化を受け、1776年セントレジャーステークス創設を始めとするクラシック路線の構築が始まった。イギリスクラシック路線の歴史の詳細についてはイギリスクラシック三冠を参照。

競走の施行形態については18世紀後半頃まではヒートレースマッチレースが主体であったが、これらの方式は競馬が産業としての要素を持ち始めた頃から衰退し、多数の馬による一発勝負のステークス方式へと主流が移行した。競走の賞金も馬主同士の出資によるものから始まったが、現在ではスポンサーの出資と馬券の売上金の一部、および補助金や積立金から賄われている。
日本の競馬岩倉具視「招魂社を建設する事」[10]。「競馬の歴史 (日本)」、「日本の競馬」、および「馬の博物館」も参照

日本で初めての西洋式の競馬の開催は、江戸幕府の開港の翌年の1860年に、横浜・元町で行われたとされている。1866年には横浜の根岸に、初めての本格的な競馬場として根岸競馬場が造られた。

また岩倉具視の著述記録によれば、黒船来航時の殉国者と伏見戦争戊辰戦争)の殉国者を併せて慰霊するため、1869年に招魂社靖国神社の前身)が設立され、1870年からその境内に作られた競馬場で年3回の神事として競馬が催されるようになった[11]

1879年には、のちに日本赤十字社大日本武徳会の総裁となった陸軍軍人小松宮彰仁親王を社長とする「共同競馬会社」が設立された。その後に明治天皇から賞品が下賜されるようになったのが、天皇賞のルーツであるといわれている。

1906年には、軍馬の改良を目的とした行政機関の馬政局が設立し、農林省畜産局の設置まで競馬の方針を決定した。馬政局の指示で1908年より競馬倶楽部、1936年から日本競馬会が、1948年以降は日本中央競馬会(JRA)が中央競馬の運営をしている。
競馬と馬券「投票券 (公営競技)」および「勝馬投票券」を参照
勝馬予想日本の中央競馬の馬券(五次投票券、現在はQRコードを使用した六次投票券に順次置き換えられている)

競馬は競技者・関係者が行う「馬を競わせる」興行に対して、観戦者が勝馬を予想して金を賭ける「賭博」を指す意味でも用いられる。賭博が禁止されている国においても、賭博としての競馬はイスラム圏を除き例外的に認められている場合がある。

イギリスのブックメーカーが競馬場で発生して以来、競馬は賭博とのつながりが深く保たれている。しかし現在ではパリミュチュエル方式による主催者が胴元として統括する賭博が世界的な主流となっており、ブックメーカーを認可している地域はあまり多くない。日本においても洋式競馬が導入された19世紀から既に勝馬投票券(馬券)が発売された。

勝馬を予想する方法については、古くからさまざまな模索がなされてきた。競馬新聞馬券予想会社など、金銭と引き換えに他人に自分たちの予想を教えることを商売とする業者もある。また、自分が考え出した予想の方法を新聞・雑誌に寄稿したり、著作として出版する場合もある(予想 (競馬)を参照)。

馬券の販売は、主に発売対象の競走を開催している競馬場(本場)、もしくは同主催者の他競馬場、「WINS」などの場外勝馬投票券発売所、および提携している他の主催者の競馬場などで購入できる。また電話投票会員となり、電話やインターネットを利用して投票することも可能である。特にノミ屋などの私設馬券販売を防止するために、在宅投票の拡大が推奨されている。

競馬の開催における馬券販売は各国の法律で規制されており、以下のように異なっている。

アイルランドでは馬券は老若男女購入できる

18歳未満は競馬場の入場・馬券購入禁止:香港(最近では、馬主や調教師の子供は事前登録が必要だが指定されたエリア内のみ入場が許可されてきた)、シンガポールマレーシアタイ

18歳未満は馬券購入禁止(保護者同伴であれば競馬場への入場は可能):南アフリカイギリス

20歳未満は馬券購入禁止(保護者同伴であれば競馬場への入場は可能):日本[注釈 1]


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