競馬
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[4] しかし、近代競馬の初期において競技運営は貴族の内輪内、18世紀初頭においても100以上の競技場で競技が行われる中思い思いのローカルルールで運営されていた[8]。世界初の競馬統括組織、ジョッキークラブ1750年以前には存在していたとされるが、貴族やジェントルマンの利用するクラブという形であり、実際に統括組織としての側面を明確に見せるようになったのは1758年3月24日の検量に関する規定指示が最初と言え、これもニューマーケットの範囲での権威である[8]

黎明期のレースは4から6マイル、中には8マイルのものもあり、競馬において用いられる競走馬についてはスタミナに秀でた馬が主流であった[9]。しかし、17世紀後半から18世紀にかけてアラブ種やトルコ馬、バルブ馬などがイギリスへ輸入されて品種改良が行われ、やがてサラブレッドと呼ばれる品種が誕生することで、俊敏性や早熟性を持つ競走馬が増えていった[9]。サラブレッドについては1791年ジェネラルスタッドブックと呼ばれる血統書が作成され、以後その生産において血統が重視されるようになった。そのような競馬の性質の変化を受け、1776年セントレジャーステークス創設を始めとするクラシック路線の構築が始まった。イギリスクラシック路線の歴史の詳細についてはイギリスクラシック三冠を参照。

競走の施行形態については18世紀後半頃まではヒートレースマッチレースが主体であったが、これらの方式は競馬が産業としての要素を持ち始めた頃から衰退し、多数の馬による一発勝負のステークス方式へと主流が移行した。競走の賞金も馬主同士の出資によるものから始まったが、現在ではスポンサーの出資と馬券の売上金の一部、および補助金や積立金から賄われている。
日本の競馬岩倉具視「招魂社を建設する事」[10]。「競馬の歴史 (日本)」、「日本の競馬」、および「馬の博物館」も参照

日本で初めての西洋式の競馬の開催は、江戸幕府の開港の翌年の1860年に、横浜・元町で行われたとされている。1866年には横浜の根岸に、初めての本格的な競馬場として根岸競馬場が造られた。

また岩倉具視の著述記録によれば、黒船来航時の殉国者と伏見戦争戊辰戦争)の殉国者を併せて慰霊するため、1869年に招魂社靖国神社の前身)が設立され、1870年からその境内に作られた競馬場で年3回の神事として競馬が催されるようになった[11]

1879年には、のちに日本赤十字社大日本武徳会の総裁となった陸軍軍人小松宮彰仁親王を社長とする「共同競馬会社」が設立された。その後に明治天皇から賞品が下賜されるようになったのが、天皇賞のルーツであるといわれている。

1906年には、軍馬の改良を目的とした行政機関の馬政局が設立し、農林省畜産局の設置まで競馬の方針を決定した。馬政局の指示で1908年より競馬倶楽部、1936年から日本競馬会が、1948年以降は日本中央競馬会(JRA)が中央競馬の運営をしている。
競馬と馬券「投票券 (公営競技)」および「勝馬投票券」を参照
勝馬予想日本の中央競馬の馬券(五次投票券、現在はQRコードを使用した六次投票券に順次置き換えられている)

競馬は競技者・関係者が行う「馬を競わせる」興行に対して、観戦者が勝馬を予想して金を賭ける「賭博」を指す意味でも用いられる。賭博が禁止されている国においても、賭博としての競馬はイスラム圏を除き例外的に認められている場合がある。

イギリスのブックメーカーが競馬場で発生して以来、競馬は賭博とのつながりが深く保たれている。しかし現在ではパリミュチュエル方式による主催者が胴元として統括する賭博が世界的な主流となっており、ブックメーカーを認可している地域はあまり多くない。日本においても洋式競馬が導入された19世紀から既に勝馬投票券(馬券)が発売された。

勝馬を予想する方法については、古くからさまざまな模索がなされてきた。競馬新聞馬券予想会社など、金銭と引き換えに他人に自分たちの予想を教えることを商売とする業者もある。また、自分が考え出した予想の方法を新聞・雑誌に寄稿したり、著作として出版する場合もある(予想 (競馬)を参照)。

馬券の販売は、主に発売対象の競走を開催している競馬場(本場)、もしくは同主催者の他競馬場、「WINS」などの場外勝馬投票券発売所、および提携している他の主催者の競馬場などで購入できる。また電話投票会員となり、電話やインターネットを利用して投票することも可能である。特にノミ屋などの私設馬券販売を防止するために、在宅投票の拡大が推奨されている。

競馬の開催における馬券販売は各国の法律で規制されており、以下のように異なっている。

アイルランドでは馬券は老若男女購入できる

18歳未満は競馬場の入場・馬券購入禁止:香港(最近では、馬主や調教師の子供は事前登録が必要だが指定されたエリア内のみ入場が許可されてきた)、シンガポールマレーシアタイ

18歳未満は馬券購入禁止(保護者同伴であれば競馬場への入場は可能):南アフリカイギリス

20歳未満は馬券購入禁止(保護者同伴であれば競馬場への入場は可能):日本[注釈 1]

21歳未満は馬券購入禁止(競馬場への入場は不明):フィリピン

州によって異なる:アメリカ(馬券の発売が禁止されている州もある)

宗教的な理由により馬券の発売が行われていない:アラブ首長国連邦(馬券の代わりにイベントとして複数のレース(最高9競走)の1・2着馬を予想し、ポイントに換算して最高成績の者に景品が当たるプレイカードが配布されている)

高額配当高額配当となったレースの払戻金の例

馬券の購入者は、各競走終了後の配当が大きくなることを期待する。配当が100倍を超える馬券、つまり100円あたりの払戻金が1万円を超える馬券のことを「万馬券」と言う。10万円(1000倍)を超えると10万馬券、100万円(1万倍)を超えると100万馬券、そして1000万円(10万倍)を超えると1000万馬券と言われ、記録的な高額配当の際には一般のニュースで報じられることさえある。

100倍を超える配当はかつてはあまり目にすることのないものであったが、2002年平成14年)に誕生した馬番号三連勝複式(3連複)や、2004年に誕生した三連勝単式(3連単)の登場によりその機会は飛躍的に増大し、逆に100倍を超えないことが稀となっている。

2005年(平成17年)4月9日には福島競馬場で初の1000万馬券が発生した。その1ヶ月後の5月13日には大井競馬場で史上2度目の1000万馬券が飛び出し、記録したばかりの最高配当記録が更新されるまでに至る。しかも的中したのは発売176157票中たったの1票(=100円)だけだった。さらに10月22日には東京競馬場で1846万馬券が誕生、2000万馬券も間近という大万馬券となり2010年(平成22年)4月6日には大井競馬場で史上初の2000万馬券が誕生している。

様々な理由により(理由が明確にならないことも多い)、何年も続けて高額配当となる競走がある。そのような競走のことを「荒れる競走」と呼ぶことがある。
最高額配当記録

中央競馬では2012年(平成24年)8月4日に開催された新潟競馬第5競走(2歳新馬戦・17頭立て)において8番ミナレット(14番人気)→6番ヘイハチピカチャン(12番人気)と14番ファイヤーヒース(10番人気)(同着)の順に入り、8→6→14の3連単の配当が2983万2950円(4080通り中3850番人気、総票数80万8482票中的中票数1票)となったのが最高記録である[注釈 2]。この記録は中央・地方を両方を含めた国内競馬全体のみならず、国内の公営競技全体においても史上最高額である(重勝式を除く)。

重賞競走では2015年(平成27年)5月17日に開催された「第10回ヴィクトリアマイル」の3連単の配当2070万5810円が史上最高額(牝馬限定重賞競走でも最高額)となっている。なおこのレースで上記の新潟競馬の新馬戦で勝利した、最低人気の18番ミナレットが3着になって高配当に再び絡んだ。

重勝式では2014年(平成26年)6月7日WIN5の払戻上限額引き上げ(2億円→6億円)までに上限の配当2億円が計6回出ており、引き上げ後は2021年(令和3年)3月14日の配当5億5444万6060円が最高額となっている。


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