競泳
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また、同年、このロンドンオリンピックがきっかけとなって国際水泳連盟(FINA、現・世界水泳連盟)が設立された。[6][リンク切れ]現在は、小学校や中学校で体育の授業で水泳を習っている。(クロール・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライ)
種目

競技は種目と距離、性別によって分けられている。

個人種目としては、男女それぞれにバタフライ背泳ぎ平泳ぎ自由形の4泳法と、これを個人で順に行う個人メドレーがある。

距離は、自由形では 50m・100m・200m・400m・800m・1500m があり、多くの大会で女子1500mと男子800mは省略されてきたが2020年東京オリンピックより正式種目に採用された[8]

平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライでは 50m・100m・200m があり、個人メドレーでは 200m・400m がある。短水路の競技大会では、100m個人メドレーも行われる。

競技者は低年齢から高齢者まで幅広いため、低年齢や高齢者が参加する短水路の競技大会では、各泳法の 25m が行われることも多い(世界記録などの対象ではない)。最も競技人口が多い種目は自由形短距離で、次いで多いのが平泳ぎとされている。短距離ほど参加人数が多い傾向にある。

大会の性質上、学校対抗やクラブチーム対抗の場合、団体種目として4人が1チームとして順に泳ぐリレーが行われる。4人とも自由形で泳ぐフリーリレーと、4人がそれぞれ背泳ぎ・平泳ぎ・バタフライ・自由形の順に泳ぐメドレーリレーがある。国際大会の場合はフリーリレーは 4×100m・4×200m が、メドレーリレーは 4×100m が行われる。短水路の競技大会では、フリーリレーとメドレーリレーの 4×50m も行われる。

低年齢や高齢者が参加する短水路の競技大会では、 4×25m も行われる事がある。

2013年の規則改正で混合フリーリレー、混合メドレーリレーが新設され、1チーム男子2名+女子2名の4名で行われる。

競技会によって、オープンウォータースイミングは競泳の一種目として扱われる場合と、独立した競技として実施される場合がある。
ルール

詳細はそれぞれのページを参照。

スタート時は、審判長の合図の後にスタート台に上がり(背泳ぎの場合は入水してグリップを掴み壁に足をつけて待機)、出発合図員の「take your marks」のかけ声で構える。このとき、号砲までは静止しなければならないので、体を振って勢いなどをつける事はできない。号砲の後は各種目で指定されたルールに従って泳ぐ。

国際大会や主要な大会では自動審判計時装置を使用するが、この装置のセンサーであるタッチ板の厚さが1センチメートルあるため、タッチ板を装着していない状態の長水路のプールの長さは50.02メートル、短水路のプールの長さは25.01メートルである。
服装

世界水泳連盟の競技規則は概ね以下のとおり。

全ての競技者が着用する服装(水着、帽子、ゴーグル)は、公序良俗に反せず、個人スポーツの規則に適合するものであって、許可された以外のいかなるシンボルもつけてはならない。

補足:商標については、その面積の合計が1商品において16 平方センチメートル以下とするよう別途具体的な定めがある。


いかなる水着も非透過でなければならない。

競技会では、競技者はワンピースもしくはツーピースの水着を1枚着用できる。(キャップは2枚着用できる。)

男子はヘソからヒザまで、女子は首を覆ったり肩を超えずヒザまでの線維材料のもの(FINA水着承認要件に従って承認されたもの)を着用しなければならない。アームバンドやリストバンドは水着のパーツとみなさない。

競技役員は、規則に適合しない水着等を着用している競技者を除外する権限を持つ(通常は招集所で招集員により水着に国際水連の承認済バーコードが入っているかチェックが行われる)。

競技会で使用される新たなデザイン・設計・材料の水着は、製造業者が事前に世界水連に提出し承認を得なければならない。

水着の製造業者は、許可を得た新たな水着が、特定の競技者のためのものであってはならないことを理解しなければならない。

補足:オリンピックや世界選手権で着用できる水着については、参加するすべての選手に満遍なく行き渡るようにする製造体制が取られていることが、許可の条件となっている。このため、各メーカーでは、最新式の水着を出す場合には、まず代表クラスにのみ供給し、徐々に販売する選手のレベルを下げて行くようにしており、物によっては発表から1年たってようやくエンドユーザー向けに発売したり、一般向けには一切発売しないということもある。


各国の競泳
日本

周りがに囲まれ、内陸部でも流れの早いが多い日本では、水泳は馴染み深いものだった。古くから泳法が発達しており、水中での格闘技術や馬上水練、立ち泳ぎでの鉄砲の取り扱いは、武士の嗜みともされていた。明治維新以降、欧米のスポーツが普及するにつれて、「スイミング」もまた日本人の興味をひくところとなり、1914年に初めて全国水泳大会が開催され、1924年には末弘厳太郎の尽力により大日本水上競技聯盟(現・日本水泳連盟)が発足した。[6][リンク切れ] ちなみに日本における最初の競泳大会は、1856年に東京・越中島で講武所の上覧水泳が開かれた際に行われたとされている。[9]

1930年代から1940年代にかけては世界No.1の実力を誇り、競泳は日本のお家芸と呼ばれた。オリンピックでは、1932年ロサンゼルスオリンピックで、男子全6種目中5種目で金メダルを獲得。100m背泳ぎでは、金銀銅メダルを独占した。次の1936年ベルリンオリンピックでもライバルのアメリカ合衆国を圧倒した。1940年から第二次世界大戦太平洋戦争の勃発によりオリンピックが中断。1948年ロンドンオリンピックに日本は出場出来ず、世界から敗戦国日本の実力を疑われていたが、1949年の全米選手権に日本選手団が参加し、世界記録を連発。戦前からの力が衰えていない事を示した。[6][リンク切れ]

もともと体格的に劣るという面で不利なタイム競技である競泳において世界の競泳レベルがアップしていく中、日本は国際競争力を少しずつ落として行き、1964年東京オリンピック以降は完全に低迷期に入った。1988年ソウルオリンピックでは、鈴木大地が100m背泳ぎで金メダルを獲得して日本競泳陣に16年ぶりの金メダルをもたらし、日本人の短距離種目での金メダル獲得が当時の日本のスポーツ界に大きな影響を与え、1992年バルセロナオリンピックでは、岩崎恭子が200m平泳ぎで金メダルを獲得して14歳6日の競泳最年少記録で金メダリスト(オリンピックメダリスト日本人最年少記録)になるなど、競泳界から国民的英雄を輩出して単発的にメダルを獲得する事はあったが、競泳界全体のレベルは上がらず、1968年メキシコシティオリンピック1976年モントリオールオリンピック1984年ロサンゼルスオリンピック1996年アトランタオリンピックでは、メダルもゼロに終わった。[6][リンク切れ]

競泳大国が国を挙げて強化に取り組む中、日本も近年ようやく組織的な強化に着手し、2004年アテネオリンピックでは、北島康介が平泳ぎで2冠を達成し、メドレーリレーでは銅メダルに導くなどの活躍で久しぶりにメダル8個(金メダル3個)を獲得した。北島は、続く2008年北京オリンピックでも2冠を果たし、日本人史上初となるオリンピック2大会連続2種目制覇を達成した(平泳ぎでの2大会連続2種目制覇は世界初である)。2012年ロンドンオリンピックでは、戦後最多・歴代2位タイとなる11個のメダルを獲得した(金メダルは0個)。中でもメドレーリレーにおいては、男子が銀メダル、女子が銅メダルを獲得し、日本競泳史上初となる男子のこの種目での銀メダル獲得・3大会連続でのメダル獲得、そして男女両方でのメダル獲得の快挙を果たした。[6][リンク切れ]

ちなみに、夏季オリンピックの水泳種目で日本人が最も多くの金メダルを獲得している種目は平泳ぎであり、次いで自由形である。[10]
場内アナウンス

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出典検索?: "競泳" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2020年10月)

かつて[いつ?]日本の競泳では競技開始前に出場者を紹介する際、『第1のコ?????ス、○○くん』と「コ」を長く延ばす独特のアナウンスが行われていた。


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