本作品は司馬の代表作の一つで同時に維新の英傑として、今日に至る竜馬像を確立した作品である。『司馬遼太郎 歴史のなかの邂逅(5)』(中公文庫、2011年)に作品随想を収録している。
『竜馬がゆく』の執筆のきっかけは産経新聞時代の後輩にあたる高知県出身の渡辺司郎(元産経新聞社常務大阪代表、元大阪市教育委員会委員長)が遊びに来て「これは仕事で言ってるのではなくて、自分の国の土佐には坂本竜馬という男がいる。竜馬を書いてくれ」と依頼されたことがきっかけになっている[1]。依頼された当初は、司馬自身その気がなかったが、後日他の小説の資料あつめをしていると不思議と坂本竜馬が出てきて親しみを覚え、本格的に坂本竜馬を調べてみようと思うようになったと述べている。
当時坂本龍馬の誕生日には諸説あったが、この作品で11月15日を使用したため11月15日に龍馬の誕生日が確立したという逸話がある。
俳優で海援隊のボーカルでもある歌手の武田鉄矢は、高校生の頃にこの『竜馬がゆく』を読んで、熱烈な龍馬のファンになった。
サザンオールスターズの原由子も産休中に『竜馬がゆく』を読んだことがきっかけで、龍馬ファンになっている[2]。
司馬は本作品の執筆にあたり、神田神保町の神田古書店街の複数店に依頼し、ワゴン車1台分の当時1400万円相当の古書・古文書を集め購入したという。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
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出典検索?: "竜馬がゆく"
1983年9月、京都新聞の広告に、被差別部落民の賤称である「ちょうりんぼう」という差別語が使われ、部落解放同盟がこれに抗議した。京都新聞社は『竜馬がゆく』に使われていた言葉を借用したと釈明したため、解放同盟は司馬を糾弾。同年12月に京都部落解放センターの差別確認会の席へ司馬を出席させた。この席で司馬は「"長吏"と人間の尊厳について」という釈明文を朗読した。ヤジなどで騒然としていた会場は司馬の部落差別に対する批判と明晰な文章によってすぐに静まりかえり、その後糾弾がエスカレートすることはなくなったという。なお司馬は執筆当時、「ちょうりんぼう」が差別語である事は知らず、古い土佐弁で「馬鹿」を意味する罵倒語の一種であるとしか認識してなかったと語っており、差別語の指摘を受け出版社へすぐに該当箇所の削除を申し出ている。 1965年4月19日?1965年11月22日の21:00?21:30にMBSで放送された。主役:中野誠也。 NHK大河ドラマ[3]、主役:北大路欣也。 1982年1月2日の12:00?23:53にテレビ東京の12時間超ワイドドラマで放送された。主演は萬屋錦之介。 土佐藩
テレビドラマ
1965年版
「竜馬がゆく (1965年のテレビドラマ)」を参照
1968年版
「竜馬がゆく (NHK大河ドラマ)」を参照
1982年版
各話タイトル
第1部「さらば土佐よ・運命を変えた巨人勝海舟」
第2部「勤王佐幕の対決・志なかばに倒る半平太」
第3部「京の動乱・池田屋を襲う近藤勇の新選組」
第4部「寺田屋騒動・西郷と桂、盟約の夜の遭難」
第5部「竜馬暗殺」
スタッフ
原作:司馬遼太郎
脚本:下飯阪菊馬、沢島正継、岡本育子
監督:大洲斎、松島稔
音楽:佐藤勝
キャスト
坂本竜馬:萬屋錦之介
おりょう:大谷直子
お登勢:淡島千景
坂本乙女:岸田今日子
坂本権平:内田稔
お栄:野川由美子
中岡慎太郎:中村嘉葎雄
武市半平太:伊吹吾郎
近藤長次郎:原田大二郎
後藤象二郎:夏木陽介
乾退助:佐藤仁哉
岩崎弥太郎:秋野太作
武市富子:佳那晃子
田中顕助:野本博
長岡謙吉:木村元
吉村寅太郎:内田勝正
沢村惣之丞:佐藤京一
池内蔵太:柴田p彦
溝渕広之丞:尾藤イサオ