立浪和義
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^ 2020年現在、通算の試合出場数(2586)・安打(2480)・打点(1037)・打席(10033)などは球団史上最多記録[5]。また中日の生え抜き選手で通算2000安打を達成した選手は、高木守道谷沢健一・立浪・荒木・大島洋平の5人のみ[8][5]
^ パ・リーグ最後の高卒1年目野手の受賞者は清原和博
^ 立浪が一塁にヘッドスライディングをしたのはこれが最初で最後(※二塁にしたことはあったが、「(ヘッドスライディングを)やるな」と教わっていたため高校時代も一塁にヘッドスライディングをしたことが無い)。立浪はこの件を「考えてやったんじゃなく、気が付いたらやっていた」と後に振り返っている。脱臼後はベンチの奥で「関節を入れてくれ」とスタッフに頼んだが、元には戻らず負傷交代となった。その後、立浪は負傷交代後もナゴヤ球場にとどまり、試合終了後に病院へ向かった[49]
^ 17試合連続安打を記録した翌日(5月30日)の試合では、チームが荒木雅博の1安打に抑えられた[94]
^ 中日はこの勝利でナゴヤドーム通算300勝を達成した[111]
^ この後チームは同点に追いつかれ、最終的に7-8で敗戦。
^ 当時監督であった落合博満は退任以降「立浪の守備範囲が目に見えて狭くなった」という趣旨の発言をしている。
^ ただし、同シーズンに真中満が立浪を上回る代打出場回数を記録しているため、歴代では2位の出場数である。
^ 一塁の守備に入るのは自身初[154]で、守備に就いてのスタメン出場は前述の2006年10月以来となった。
^ 立浪の引退試合では後の山崎や山本昌の引退試合で行われたような「一日限定で支配下選手として登録(一日契約)」という手法は採用されなかった。
^ チーム本塁打62本、414得点とも12球団の中で最下位だった[181]
^ 2020年シーズン終了時点で張本勲野村克也王貞治門田博光衣笠祥雄福本豊金本知憲、立浪、長嶋茂雄土井正博の10人。なおメジャーリーグベースボールでプレーしたイチロー松井秀喜松井稼頭央の3名は含めない。
^ シーズン最多本塁打は1993年・2002年に記録した16本塁打。
^ 同一球団でサヨナラ満塁本塁打を2度打ったのは立浪だけである[129]

出典^ a b c 『中日ドラゴンズ '99ファンブック』中日ドラゴンズ(発行)・中日新聞本社(発売)〈中日ドラゴンズファンブック〉、1999年3月17日、34頁。ISBN 978-4806203834。 
^ a b 『完全保存版 プロ野球 セ・パ両リーグ 12球団全選手カラー百科名鑑2020』433号、廣済堂出版〈廣済堂ベストムック〉、2020年2月21日、287頁。ISBN 978-4331802939。  - 『ホームラン』特別編集
^ 「日本プロ野球名球会オフィシャルサイト」。2021年8月24日閲覧。
^ a b c d 「殿堂入りリスト 立浪和義」公益財団法人野球殿堂博物館。2020年11月30日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2020年11月30日閲覧。
^ a b c d 「ドラゴンズ打撃通算リーダーズ(在籍通算)」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』中日ドラゴンズ。2020年8月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月30日閲覧。
^ a b 伊東大介「立浪和義氏が中日臨時コーチに 来年の春季キャンプ」『日刊スポーツ』日刊スポーツ新聞社、2020年11月18日。2020年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月30日閲覧。
^ 「歴代最高記録 二塁打 【通算記録】」『NPB.jp 日本野球機構』日本野球機構、2020年11月30日。2020年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月30日閲覧。
^ 「荒木雅博選手 2000安打達成」『中日ドラゴンズ オフィシャルウェブサイト』中日ドラゴンズ。
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