高校1年生の頃、憧れていた親戚の叔母に「ふみ坊、いい声しとるね」と声を褒められたことで、初めて自分の声に興味を持った[7][12]。
高校生の時にリクルートブックで見た東京映像芸術学院への入学を決めて、高校卒業後に上京[7][13][14]。
高校時代は男子校で演劇部には入っておらず、芝居の経験はなかったが、元々人前でおちゃらけたことが好きなタイプであり、高校生のころに「なにかを表現したい」という気持ちになって徐々に目指していたと語る[13][14]。
学校内では、多数の舞台を経験して在学中に親友と始めたデュオ・グループが声優音楽事務所の目に止まり、アマチュアとしてライブステージに立ち、同時に声優としての活動を始める[13]。 声優としてのデビュー作品は、1983年のテレビアニメ『聖戦士ダンバイン』と本人は答えているが[13]、実際にはその前番組『戦闘メカ ザブングル』に脇役として既に出演している。以降、日本のアニメやゲームで声を当てる以外にも、海外の映画やアニメの吹き替えや、CMやテレビ番組のナレーションなども行っていく。 吹き替えではフォレスト・ウィテカーやマイケル・ルーカー、トム・サイズモアなどを担当。ディズニー・ピクサー作品においてはジョン・ラッツェンバーガーの吹き替えをほぼ専属で担当している。 2022年、第16回声優アワードにて助演男優賞を受賞[15]。 TAKADA BANDの名義で三松亜美と共に、テレビアニメ『BLUE SEED』のオープニングテーマ「カルナバル・バベル」や、CDアルバム『3×3EYES』を発表したこともあった。また2003年には森川智之とともにヴォーカルユニット2HEARTSを結成し、音楽CDを発表したり、ライブ活動なども行っている。 かつてはトルバドール音楽事務所に所属していたが、大沢事務所へと移籍した。 総合格闘技イベントPRIDEのナレーターとして知られるが、フジテレビジョンのPRIDE放送撤退を受けて、PRIDEの煽りVTRのナレーションから遠ざかっていた時期もある。
デビュー後
音楽活動
所属事務所の変遷
人物・エピソード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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