立憲民主党_(日本_2020)
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

同年9月10日に新党代表・党名選挙が行われ、旧立憲の代表であった枝野幸男が初代代表に選出されるとともに、党名も『立憲民主党』に決定した[71]

旧立憲とは同一の名称およびロゴマークを使用する[注釈 8]が、法令上は新規に設立された別の政党である[73]

2021年(令和3年)11月30日、枝野の代表辞任に伴う新代表選挙が行われ、政務調査会長であった泉健太が選出されて第2代代表となった[74]旧立憲民主党以来のロゴマーク
理念

本党は綱領において自らを「立憲主義熟議を重んずる民主政治を守り育て、人間の命とくらしを守る、国民が主役の政党」とし、続いて、自由と多様性の尊重、共生社会の創造、国際協調、未来への責任を果たすことを基本理念に掲げる[37]

本党の政治的立場は、マスコミ等によって「中道[75][76]」、「中道左派[11][12]」、「左派[20][23]」、「リベラル中道[77][78][79][80]」、「リベラル[81][26][31][82][83][84]」と位置付けられている。

ただし、対等合併[85][86]した前身政党の一つである旧国民民主系の党員には保守派が多く[87]、また初代代表の枝野幸男も自書の中で自らを「保守本流」と標榜している[88][89]。さらに第2代代表の泉健太は「中道[90][91][92]や「中道保守[93]であるとたびたび評される。
党史系譜
前史

2017年第48回衆議院議員総選挙をきっかけに分裂した民進党はその後、旧・立憲民主党旧・国民民主党およびいずれの党にも所属しない旧民進党系無所属議員グループに分かれた。旧・立憲代表の枝野は当初、旧民進党勢力を再び結集することには否定的な立場を取っていたが、2019年(令和元年)7月の第25回参議院議員通常選挙の結果を受けて方針を転換した[94]。同年12月6日、共同会派を組む旧・国民民主党、旧民進党系無所属議員のグループである社会保障を立て直す国民会議無所属フォーラムおよび社会民主党に対し、「立憲民主党と共に行動してほしい。政権を担いうる政党を築き、次期衆院選で政権交代を現実のものにしたい」と述べ、事実上の合流を呼び掛けた[95][96]

2020年1月には他党の吸収合併を想定する立民側と、対等合併を主張する国民側で合意に至らず、一度合流協議は破談となったが、半年後の7月には立民側が両党を解党した上で新党を設立するなど国民側に譲歩した内容で合流協議が再開[97][98]。8月24日、旧・立憲民主党、旧・国民民主党、社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムの2党2グループの幹事長が新党を結党することに合意した[99][100]
合流決定

9月1日、2党2グループの幹事長と選挙管理委員は、新党代表・党名選挙の告示日を9月7日、投票日を9月10日、結党大会を9月15日とすることを決定[101][102]。9月10日に行われた選挙の結果、枝野が旧・国民民主党出身の泉健太を破り代表に選出。党名には「立憲民主党」が選ばれた[103]

結成前日の9月14日、党の幹事長に旧・立憲民主党幹事長の福山哲郎参議院議員を引き続き起用するなどの人事を発表。また、同日には衆議院議員1名が入党の届け出を行い、新・立憲民主党は衆議院議員107人、参議院議員43人の計150人で結成することとなった[104]

新党参加者の内訳は、旧・立民の出身者が88名、旧・国民からが40名、無所属からが22名であった[105]
結党

9月15日、東京都内のホテルで結党大会が行われた。大会で枝野は「衆院では政権交代の発射台といわれる100人を超えるメンバーが集まった」と述べた。また、幹事長に福山、政調会長に旧国民で同職を務めた泉、国会対策委員長に旧立憲で同職を務めた安住淳、代表代行兼選挙対策委員長に旧国民で幹事長を務めた平野博文が就くなどの執行部人事案も承認された。また、同日には玉木雄一郎ら旧国民側の合流不参加者が結成した新・国民民主党も設立大会を開いた[106]

9月16日午前、持病の潰瘍性大腸炎により辞意を表明していた安倍晋三内閣総理大臣内閣総辞職し、午後の首班指名選挙において自由民主党総裁菅義偉が第99代内閣総理大臣に選出された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:299 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef