美濃国大垣藩の藩士の清水垣右衛門の次男として生まれる[1]。1882年立川清助の養子となる[1]。東京で弁護士として活動した後、実業家へ転身[1]。
1898年(明治32年)、藤岡市助の助けをかりて大師電気鉄道(現京浜急行電鉄)を設立して代表に就任[1]。日本の電気鉄道の先駆けとなる。この成功から出身地の大垣からの要望を受け、岐阜県西濃地区の発展を考えるようになる。
やがて地元に戻り、1911年(明治44年)、養老鉄道を設立(同社が開業した養老線は後に近畿日本鉄道の路線となり、2007年10月から新たに設立された養老鉄道が運営している)[1][2]。
1912年(大正元年)、大垣を中心とした西濃地区の電力供給を目的として、揖斐川電力(現イビデン)設立[3]。初代社長となる[1]。
また東京-大阪間を電気鉄道で結ぶ日本電気鉄道を計画したが却下された[4]。
藤岡市助などの実業家と共同でいろいろな会社を設立した。その代表的なのが東芝や東京電力である。 毎年8月、養老鉄道養老線養老駅前の立川勇次郎顕彰碑にて、顕彰祭が行われている。 立川勇次郎が設立したイビデンの次の社長である櫻内幸雄は日本の政治家であり、内閣総理大臣福田赳夫などと血が繋がっている。
その他
関連項目
岐阜県出身の人物一覧
脚注^ a b c d e f g h 鉄道史学会編『鉄道史人物辞典』、日本経済評論社、2013年、266-267頁
^ 『日本全国諸会社役員録. 第22回』
^ 『日本全国諸会社役員録. 第21回』
先代
(新設)揖斐川電力社長
初代:1912年 - 1925年次代
櫻内幸雄