立命館土曜講座
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

^ このマークは、1960年(昭和35年)に法学部三回生だった学生によりデザインされたもの。学園創立60周年を記念して新たなマークを公募した中から選ばれた。デザインがカメに似ていることから、当時の学生からは「カメ・マーク」「亀の子マーク」等と呼ばれていた
^ この大学対抗戦のみ、立命館大学の他の大学対抗戦とは異なり、例外的に「立名戦」とは称さずに、名古屋大学側と同じ「名立戦」と公式に称している(立命館大学クイズソサエティーの公式ホームページ[要文献特定詳細情報]でも「名立戦」と記述している)。これは「立名」とすれば同大学の略称の一つである「立命(りつめい)」と読みが同じとなることから、混乱を防止するためである。
^ a b 立命館総長だった中川小十郎は、「何も知らずに買った土地が本校が大変御世話になっている西園寺公の御先祖が住まはれた土地であったことがわかり今更因縁浅からざるを痛感した」と述べている[62]
^ 「元来衣笠山周辺一帯の地域は西園寺家の所領であったが、足利三代将軍義満が所望して、大和の某地を替地として交換したという古い記録がある。校地の整地中、西園寺家の定紋である左巴のついた古瓦が、続々と掘り出された事実と称号して、この地がかつて壮麗を誇った西園寺の遺址であることは明らかである。いずれにしても西園寺公望に臣仕した中川小十郎(総長)が、その終生の事業をこの地に選んだことは、偶然とはいえ奇しき因縁といわざるを得ない[63]。」
^ 島津久光は洛北衣笠山のふもとに、1万6千余坪の土地を取得し調練場にした。場内に弾薬庫、陣屋、休息所、勤番所を設け、常に動番士10数名を置いた。西郷隆盛を従えてたびたび小松原の陣屋を訪問したという[64]
^ 薩摩藩家老の桂久武による『桂久武日記』には、「この日、きん笠山(衣笠山)下へ調練場おとりなされたき吟味もこれあり候処、見分(検分)のため参るべしと申し談ず」と記されている[65]
^ 1991年、溥儀の弟である愛新覚羅溥傑中華人民共和国全国人民代表大会代表・同常務委員会委員として立命館大学第19号名誉法学博士号を得ている。また、愛新覚羅烏拉熙春が現在立命館アジア太平洋大学で教鞭をとっている。
^ 立命館大学[畑中和夫名誉教授は、愛新覚羅溥傑氏への名誉法学博士号贈呈の経緯について問われた際、以下のように述べている。(以下、引用)『昭和14,5年頃の日満高等学校の設立にあたり、当時のお金で50万円という巨額の寄付を愛新覚羅溥儀から受けた。そのうち20万円で、衣笠の6万坪の土地を購入し、校舎を建て、さらに学生向けの奨学金の基金も創設できた。満州国皇帝からの寄付を受けたのは立命館と秋田工業専門学校(現秋田大学の前身)の2つだった。この寄付の一件について、満州国と立命館の仲介をしたのが、当時、満州国駐日大使として日本にいた溥傑氏であった。月日が流れて、溥傑氏が中国全人代の中の常務委員としての肩書きで訪日し、清水寺を訪ねた折のこと、思い出話の中で、この寄付の一件を溥傑氏が覚えていて「そのような縁のある立命館を見てみたい」と言っているとの話が、清水寺ルートで畑中教授に伝わった。この話を受けて、畑中教授が学内外の人と相談を重ね、「まさか返してくれとはおっしゃるまい」など心配もしながら、元侯爵嵯峨氏などにも相談し、嵯峨侯爵から「然るべき処遇をすれば良い」とのアドバイスを得て、総長の判断で、当時の溥傑氏肩書きに相応しい名誉学位としての「法学博士」号を贈ることとなった。』(立命館大学千葉校友会サイト「ちば校友の集い」[要文献特定詳細情報]にて、畑中和夫名誉教授談として紹介)
^ 1939年(昭和14年)3月16日、満州国補助金交付の通達が財団法人立命館に発せられた。補助金の内容は1939年度30万円、40年度20万円の二カ年継続合計50万円であった[67]

出典^ <懐かしの立命館>「自由と清新」「平和と民主主義」の始まり?建学の精神、教学理念は何時できたのか??
^ 立命館憲章2006年
^ 山崎有恒「中川小十郎の教育理念と戦後を創った卒業生たち : 戦前期立命館大学再考」『立命館史資料センター紀要』 第1巻 (2018年3月)立命館史資料センター pp.5-27.
^ 山崎有恒「中川小十郎の教育理念と戦後を創った卒業生たち : 戦前期立命館大学再考」『立命館史資料センター紀要』 第1巻 (2018年3月)立命館史資料センター p.10
^ 立命館大学父母教育後援会『この歩み 立命館』1994年
^ a b 中村龍兵『挑戦する立命館ー大学改革とは何か』エトレ,1997年
^ 立命館大学学園通信『百二十年の歴史を訪ねて』
^ 立命館大学学園振興委員会『像とともに未来を守れ』,1986年
^ <懐かしの立命館>立命館大学の門 前編 |。立命館あの日あの時 。立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室) 2020年7月15日閲覧。
^ a b 立命館 : 1869-1990 : 立命館創始120年・学園創立90周年記念 / 立命館大学編
^ a b c d e 立命館大学西園寺公望伝編集委員会『西園寺公望伝』岩波書店,1990年
^ 京都日出新聞1932年9月23日付夕刊紙面、伊藤之雄『元老西園寺公望』文藝春秋,2007年
^ <学園史資料から>「京都法政大学」案内 立命館あの日あの時 2020年1月17日閲覧。
^ 『立命館百年史』 通史第一巻、186-187頁
^ <懐かしの立命館>立命館中高 北大路校舎誕生物語 第1部 広小路から新天地北大路へ 立命館あの日あの時 2020年10月8日閲覧。
^ 『官報』 1924年5月22日
^ 朝日新聞社 『運動年鑑 昭和七年度』 1932年、40頁
^ a b愛新覚羅溥儀からの寄付で衣笠キャンパス用地を購入し、学生基金を設立。[リンク切れ]
^ 林義男、野口龍弘「【座談会】戦中の立命館と終戦直後を語る」(pdf)『立命館百年史紀要』第5号、1997年3月25日、83頁。 
^ <懐かしの立命館>戦前「最後の立同戦」 - 立命館あの日あの時
^ 『京都新聞』 1943年11月22日朝刊
^ 『立命館百年史』 通史第一巻、777頁
^ 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、1986年、916-917頁
^ 『立命館百年史』 通史第二巻、262頁
^ 『立命館百年史』 通史第二巻、264-265頁
^ 『立命館百年史』 資料編第二巻、165-166頁
^ 立命館大学 グローバル教養学部(2019年1月29日閲覧)。
^ “立命館大学 食×経営を研究する大学院「食マネジメント研究科」を新設へ”. 先端教育オンライン|先端教育機構 (2020年7月28日). 2020年8月3日閲覧。
^ 立命館衣笠球場跡|聖地・名所150選|野球伝来150年特設サイト
^ 2024年4月?大阪いばらきキャンパス新展開について|立命館大学 入試情報サイト 2024年4月16日閲覧。
^ 新棟(H棟)を竣工し、共用を開始しました|キャンパスマスタープラン|立命館大学 2024年4月16日閲覧。
^ a b c 校歌、応援歌、寮歌 。立命館大学校友会
^ 学園歌集・音源 。
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:474 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef