空軍
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確かな空軍戦力が戦場に投入されたはじまりは1794年のフルーリュスの戦いにて、フランス軍が偵察のために気球を使用したこととされる[5]飛行機の歴史は、1903年アメリカのライト兄弟の飛行から始まる。初期の飛行機は空を飛ぶことに専念し、戦闘に使われることは想定されなかった。

1911年9月から1912年10月の伊土戦争でイタリアが2隻の飛行船に加えて28機の航空機を投入して偵察を行ったのが、戦場で航空機が初めて登場した戦争になった。
第一次世界大戦第一次世界大戦当時の偵察爆撃機MF.11

航空機が戦力として本格的に注目されたのは第一次世界大戦である。大戦初期、航空部隊の任務は偵察(偵察機)のみで戦闘に携わることは無かったが、途中から戦闘機や爆撃機が誕生し、ドイツフランスイギリスアメリカカナダイタリアなどの国で多数の戦闘機や爆撃機が生産・使用された。

この時期にイギリス陸軍航空隊フランス陸軍航空隊ドイツ陸軍航空隊が組織として誕生した。その後ドイツ陸軍航空隊は敗戦により解体されたが、イギリス陸軍航空隊はイギリス空軍に形を変え現在まで続いている。この大戦では戦闘機同士の空中戦、ドイツ飛行船(海軍に所属)・爆撃機による夜間都市爆撃、イギリス海軍機(水上機)によるドイツ軍基地攻撃など今まで無かった新しい戦争の形態が出現した。

航空機のもたらす偵察情報はしばしば戦闘に大きな役割を果たし、砲兵観測は既存の直接射撃主体の砲兵の戦術を一新する等、航空機は陸戦の勝敗を決する上で非常に重要な兵科となった。
大戦間の状況

第一次世界大戦が終了し戦間期に入ると大戦参加各国の航空部隊は大幅に縮小された。当時の飛行機は木製で耐久性に乏しかったため、大部隊を維持するには常に大量に更新する必要があったためでもある。

その中でイタリアのジュリオ・ドゥーエ少将は将来の戦争は戦略爆撃が戦争の勝敗を決する旨の構想を明らかにし、アメリカのウィリアム・E・ミッチェル准将は航空爆撃の効果を重視し爆撃機の攻撃により(旧式ではあるが)戦艦を撃沈できることを証明した。これらの見解は将来の戦争形態について各国の関係者たちに少なからず影響を与えた。1930年代中期まで、各国空軍は技術の進歩にあわせて新しい機体を採用しつつも規模は小さいままであった。

1930年代後半にアドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツ再軍備を宣言し空軍を急速に増大させ、スペイン内戦には主に新型機材で構成されたコンドル軍団を投入し、戦果を挙げるとともに、ヴェルナー・メルダースロッテ戦法・シュヴァルム戦法を考案するなど運用面でも進化を遂げた。これに対抗してイギリス・フランス・アメリカ・ソ連などが空軍の強化を開始し、極東では日中戦争ノモンハン事件を戦っていた大日本帝国陸軍海軍も航空部隊を増強した。特に陸軍では既存の士官学校とは別に航空将校養成に特化した航空士官学校を設立、陸軍少尉候補者制度により准士官下士官パイロットの将校指揮官登用、実戦部隊(飛行戦隊)と支援部隊(飛行場大隊)の空地分離化などが推し進められ、海軍では山本五十六の主導の下、従来の戦艦主体の艦隊から航空母艦を主力とする海軍への切り替えが始まった。この時期イギリスは空母搭載機も空軍に所属していたがこれは不合理で、海軍用の機体は地上を基地とする機体に比べて更新が大幅に遅れた。イギリス海軍が大戦前半に複座戦闘機フルマーや複葉攻撃機ソードフィッシュで戦った原因はここにある。その後イギリスも空母搭載機は海軍所属に変更した。
第二次世界大戦バトル・オブ・ブリテンで活躍したイギリス空軍スピットファイア戦闘機

第二次世界大戦では、空軍は戦争の主力となった。陸上でも海上でも制空権を有する側が勝利を得た。

大戦初期、ドイツは制空権を握った空軍の電撃戦によりポーランド侵攻戦フランス侵攻戦で成功を収めるが、バトル・オブ・ブリテンの航空戦で敗北。対ソ連戦バルバロッサ作戦では電撃戦で当初はソ連軍を圧倒したものの、タイフーン作戦の失敗により戦局は停滞する。

太平洋戦争初期の日本の陸海軍航空部隊は、パイロットの優れた技量と集中投入によってマレー電撃戦真珠湾攻撃ビルマ攻略戦フィリピン攻略戦蘭印攻略戦などの南方作戦においてイギリス・アメリカ・オランダを圧倒した。真珠湾攻撃やマレー沖海戦の結果、長年海軍の主力であった戦艦はその座を失い、航空母艦が海軍の根幹となり大戦中は多数建造された。


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