空軍
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このような空軍の重要性に関する主張はイタリアの軍人ジュリオ・ドゥーエによって体系化されることになる[2]第一次世界大戦で陸海軍が航空機を航空偵察や支援戦闘、対航空戦のために運用するようになると、ドゥーエは戦略爆撃の効果と独立空軍の創設を『制空』で論じるようになる。ドゥーエが展開した理論の中核にある概念は制空権(航空優勢)である。制空権とはある空域において排他的に航空を管制する状態である。これを確保するためには敵の航空機を空域から空中戦によって排除し、さらに敵の航空基地に対して攻撃を加えなければならない。この制空権を確立する作戦を行うためには、戦闘部隊や爆撃部隊などから構成される独立空軍が編制されなければならないとドゥーエは考える[2]。もし独立空軍がなければ陸軍や海軍が健在であっても敵による政経中枢への戦略爆撃を許し、戦争に敗北することを余儀なくされると空軍の重要性を強調した。つまり戦争における空軍の戦略的な役割は航空偵察や陸海軍の部隊に対する支援戦闘に始まり、後に制空権の確立と戦略爆撃の実施へと変化していった。ミッチェルは『空軍による防衛』においてドゥーエと同様に独立空軍の設置を主張するが、同時に軍事航空だけではなく国家の全般的な航空能力をエアパワーと定義し、民間の航空産業を保護することも主張している。これは優れた空軍を維持するためには航空機や飛行場を維持するだけでなく、愛国的で卓越した技量を持つ航空要員と工業生産力が不可欠であるという考えに基づいており、現代の航空戦略の概念として受け入れられている[3]

空軍の作戦能力は航空機によって構成されている。航空機は一般に機関により推進力を、主翼により揚力を得て空中を飛行する能力を持つ交通手段である。航空機は1903年12月17日にライト兄弟がアメリカでライトフライヤー号の飛行実験を成功させた時には、木材で骨格が作られたものであり、ガソリンエンジンを動力としてプロペラで推進する簡単な複葉機の構造を持っていた。しかし第一次世界大戦で運動性や武装などが改良され、偵察機戦闘機攻撃機爆撃機という軍用機の基本的な機種が成立する。この大戦を通じてドイツ軍の空襲を受けたイギリスは1918年に世界で初めての独立空軍であるイギリス空軍を編制している[4]第二次世界大戦では金属素材の単葉機が登場し、航続距離、運動性、兵装が改善されただけでなく、ドイツ軍で開発された電撃戦において航空部隊は近接航空支援で敵前線に戦車が突撃を加える突破口を形成する役割を担った。一方のイギリス空軍でもドイツ空軍に対する近代的な防空システムを構築して本土への攻撃を退けた。またアメリカでもセヴァルスキーによる『空軍力による勝利』で戦略爆撃機とそれを護衛する戦闘機の生産を拡大が推進された。工学者ロバート・ゴダードはロケット工学の研究でジェット機ミサイルの基礎技術を導入している。戦後間もない1947年に新設されたアメリカ空軍では核兵器を運用するための戦略爆撃の能力を拡大し、長距離航空を支援するための空中給油機が導入されるようになる。空中給油を実施することでより幅広い地域にわたって航空戦力を展開することが可能となる。空軍の意義は冷戦後の湾岸戦争でも高く評価され、多国籍軍による精密誘導兵器を用いた戦略爆撃はイラク軍の戦闘能力を低下させることに成功した。
空軍史

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出典検索?: "空軍" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2010年3月)

空中戦の起源はギリシャ神話などで出てきている(ベレロポーンの空中戦など)が昨今の空軍とは除外される。そもそも、飛行機が使われていないためである。確かな空軍戦力が戦場に投入されたはじまりは1794年のフルーリュスの戦いにて、フランス軍が偵察のために気球を使用したこととされる[5]飛行機の歴史は、1903年アメリカのライト兄弟の飛行から始まる。初期の飛行機は空を飛ぶことに専念し、戦闘に使われることは想定されなかった。

1911年9月から1912年10月の伊土戦争でイタリアが2隻の飛行船に加えて28機の航空機を投入して偵察を行ったのが、戦場で航空機が初めて登場した戦争になった。


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