General de divisionのアンシャンレジーム期での呼称はLieutenant-Generalであり、1793年に現呼称に改められたが、1812から1848年の間、旧呼称に戻されたという経緯を持ち、1788年に当時の准将が廃止されて以来、NATOが発足するまでは中将位であった[57] · [58]。第一次世界大戦では部隊規模の拡大や他の連合国軍との共同作戦に対し、将官の階級が二階級しかなかったため、臨時的措置として軍団長以上の高級指揮官たる中将は下掲のようにケピ帽や袖章の星章の下あるいは上にに横棒1本を付けて大将位とし、他国軍とのバランスを取ったという。 陸軍に軍団将軍
1919年に第7軍団長であったアルフォンス・ピエール・ヌドン(Alphonse Pierre Nudant)将軍。星章の下の横棒は軍団長以上の高級指揮官であることを示す。
General de division ayant un commandement superieur (より上級の部隊に指揮権を持つ師団将軍)の袖章。
イタリア
陸軍・カラビニエリ・財務警察(イタリア語版、英語版):Generale di divisione
海軍:Contrammiralio[注 17]、上級少将:Ammiraglio di divisione
空軍:Generale di divsione aerea
ブラジル
陸軍:General-de-Brigada
海軍:Contra-Almirante
空軍:Brigadeiro
階級章・旗章
陸軍階級章
アメリカ陸軍少将
(Major General)
ブラジル陸軍少将
(General-de-Brigada)
陸上自衛隊 将補(甲)階級章
陸上自衛隊 将補(乙)階級章
フランス陸軍少将
(General de division)
海軍階級章
アメリカ海軍少将
イギリス海軍少将
ブラジル海軍少将
(Contra-Almirante)
フランス海軍少将
(Contre-Amiral)
海上自衛隊 将補(甲)階級章
海上自衛隊 将補(丙)階級章
空軍階級章
アメリカ空軍少将
ブラジル空軍少将
(Brigadeiro)
フランス空軍少将
(General de division aerienne)
航空自衛隊 将補(甲)階級章
航空自衛隊 将補(乙)階級章
海軍少将階級旗
イギリス海軍少将旗
インド海軍少将旗
フランス海軍の少将旗
海上自衛隊の海将補旗
日本海軍の少将旗
脚注[脚注の使い方]
注釈^ a b 明治5年1月に海軍省が定めた外国と国内の海軍武官の呼称によるとリール・アドミラルを少将に対応させている[1]。
^ 現在では、陸上自衛隊以外に台湾、ポルトガル、そして南米ではブラジル等の一部の国にその例が見られる。また、かつてナポレオン戦争時、准将制度を持つイギリス陸軍でも、第2騎兵旅団長であったウィリアム・ポンソンビー将軍のように少将の旅団長も少なくなかった。
^ 政体書では軍務官の判官事の職掌は神祇官の判官事の職掌に関する規定に准ずるとしているが、海陸軍将の職掌に関する定めはない[9]。
^ 四条隆謌[10]、西園寺公望[11]、烏丸光徳[12]、壬生基修[12]、坊城俊章[13]、四辻公賀 [14]などが三等陸軍将に任ぜられた。職員録によればこの他に五条為栄[15]、久我通久[16]、鷲尾隆聚[17]、正親町公董[18]が軍務官陸軍局の三等陸軍将として掲載されている。
^ 三等陸軍将には公卿やその子弟が任ぜられ[注 4]、戊辰戦争において鎮撫使[19] [20]、江戸府知事[21]、参謀[21] [20]、関八州監察使[21]、総督[22]などを命ぜられた。なお、明治2年7月調べの職員録では、軍務官海軍局の三等海軍将として掲載されているものは一人もいない[23]。
^ 職員令では兵部大丞の職掌は民部大丞などの職掌に関する規定に准ずるとしているが、海軍少将や陸軍少将の職掌に関する定めはない[26]。
^ 1869年7月24日(明治2年6月16日)に公卿・諸侯の称を廃止して華族に改称した[29]。
^ 明治2年9月調べの職員録には久我通久、正親町公董、五条為栄、四条隆謌、鷲尾隆聚、坊城俊章が陸軍の少将として掲載されており、烏丸光徳は少将としては掲載されていない[27]。