空軍大尉
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廃藩置県[注釈 7]の後、明治4年8月[注釈 8]の官制等級改定[25]及び兵部省官等改定[26] [注釈 9]や明治5年1月の官等改正[28]及び兵部省中官等表改定など数度の変更があり[26] [注釈 10]、明治5年2月の兵部省廃止及び陸軍省海軍省設置を経て[30]、明治6年5月8日太政官布達第154号[31] [32]による陸海軍武官官等表改正で軍人の階級呼称として引き続き用いられ[注釈 18]西欧近代軍の階級呼称の序列に当てはめられることとなった[注釈 19]

二等兵として任官した軍人が陸軍教導団陸軍幼年学校陸軍中央幼年学校陸軍士官学校海軍兵学校陸軍大学校海軍大学校などの軍学校を経ずに昇進可能な最高階級でもある[注釈 20]

昭和期の日本海軍では、「大尉」は正式には「たいい」と呼ばれたものの、習慣的には「だいい」とも呼ばれた[1]
自衛隊日米共同訓練「アイアンフィスト」における訓練風景、手前右がアメリカ海兵隊大尉、奥右が陸上自衛隊一等陸尉、2012年

自衛隊では、1尉(略称)に相当する。警察では警部に相当し、中央官庁では本省係長又は主任に相当する[39]

陸上自衛隊:1等陸尉(警察予備隊時代は一等警察士、保安隊時代は一等保安士)

海上自衛隊:1等海尉(海上警備隊時代は一等海上警備士、警備隊時代は一等警備士)

航空自衛隊:1等空尉

職務は中隊長等の指揮官職の他に副中隊長・運用訓練幹部・上級部隊の班長職や幕僚活動を行う。また、偵察隊及び後方支援隊(連隊)の整備中隊・直接支援中隊では小隊長職に就く場合もあるほか、方面通信群の基地通信中隊等の派遣部隊では派遣隊長職としての活動も行われる。また、航空自衛隊では主に操縦士や小隊長、航空団司令部等の班長、一部は各編成単位部隊長等に補職される。
欧米

Captainは、もともとはラテン語の「頭」を示す「caput」に由来し、このため部隊規模にかかわらず隊長を意味している。歴史的には中隊の保有者が転じて中隊の指揮官を意味し、傭兵が主体であった時代には募兵も担当(通常は中隊単位で実行されるため)していた[40]

英語で「Captain キャプテン」(隊長)というのは、そもそもこの階級が傭兵隊(後世の中隊相当)などの長の役職が制度化・階級化されたことに由来する。海軍のみが、他の三軍では中尉に相当する「Lieutenant」になっている[注釈 19]

イギリス

陸軍 Captain

海軍 Lieutenant(通常[leftenant]のように発音する。)

海兵隊 Captain

空軍 Flight Lieutenant

アメリカ合衆国

陸軍 Captain

海軍 Lieutenant

海兵隊 Captain

空軍 Captain

ドイツ

陸軍 Hauptmann

海軍 Kapitanleutnant(カピテーンロイトナント)、海軍言葉ではしばしば Kaleu(カーロイ)と略される。

空軍 Hauptmann

軍医科 Stabsarzt

薬剤科 Stabsapotheker

獣医科 Stabsveterinar

フランス

陸軍 Capitaine

海軍 Lieutenant de vaisseau

空軍 Capitaine

憲兵隊 Capitaine

中国

大尉とは異なるが、古代中国において軍事を担当する高官の官職名に太尉があった。もちろん現在の軍隊の階級の大尉は、古代日本の律令制を由来とした命名であり、古代中国の官職とは関係がない(官職として無くなっており、そのような高位の官が格下げになったといった歴史は存在しない)[注釈 5]

なお、現代中国においても1955年から1965年までは尉官の最上位、上尉の上の階級として大尉の階級名が使われていた。1988年以降は尉官の最上位は上尉とされ大尉は用いられていない。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 法令全書では布達ではなく「沙汰」としている[3] [4]。また、第604号はいわゆる法令番号ではなく法令全書の編纂者が整理番号として付与した番号[5]
^ 兵部省は弁官宛に海陸軍大佐以下の官位相当表を上申していたが決定に日数がかかっており、明治3年7月28日に官位相当表の決定を催促をしている[6]
^ 1870年6月1日(明治3年5月3日)には、横須賀・長崎・横浜製鉄場総管細大事務委任を命ぜられた民部権大丞の山尾庸三に対して、思し召しにより海軍はイギリス式によって興すように指示している[7]
^ a b 1870年10月26日(明治3年10月2日)に海軍はイギリス[注釈 3]、陸軍はフランス式を斟酌して常備兵を編制する方針が示され、各藩の兵も陸軍はフランス式に基づき漸次改正編制させていった[8]
^ a b 大尉は古代中国でも見られる官職名であるが、新式軍隊の階級として使用したのは中国の用例と比べて日本がそれより早いことから、日本が先に新義語として転用した可能性が高いと推測される[9]。荒木肇は、律令制の官職名が有名無実となっていたことを踏まえて、名と実を一致させる。軍人は中央政府に直属させる。などの意味合いから衛門府・兵衛府から尉官の官名を採用したのではないかと推測している[10]
^ 明治4年2月22日に春日艦副長の伊東四郎を海軍大尉に任じた[15]。同年5月17日に大坂丸船長の福島弥太六と飛隼丸船長の相浦紀道を海軍大尉に任じ、兼坂熊四郎を海軍大尉に任じた。このとき大阪丸船長の福島弥太六に甲鉄艦長代を命じる辞令を別に出しており、海軍大尉の階級を船長や艦長代などの職務を区別している[16]。同月19日に日進艦副長の岡廉之助を海軍大尉に任じた。このとき岡廉之助に甲鉄艦乗組を命じる辞令を別に出しており、海軍大尉の階級と軍艦乗組の職務を区別している[17]。明治4年5月25日に白井龍吉を陸軍大尉に任じた[18]。このとき同人に第2連隊第1大隊小隊隊長を命じ、ただし当分6番小隊兼勤とする辞令を別に出しており、陸軍大尉の階級と小隊隊長の職を区別している[19] [20]


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