空襲
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納税拒否のような非協力的な行為にも空軍が出動して懲罰作戦を行った[16]

1921年航空戦力の本質を攻勢とし空中からの決定的破壊攻撃を説いたジュリオ・ドゥーエイタリア)の『制空』が発刊され、世界的反響を生んだ[17]。ドゥーエやウィリアム・ミッチェルに代表される制空獲得、政戦略的要地攻撃を重視するには戦略爆撃部隊の保持が好ましく、1930年代には技術的にも可能となり、列強は分科比率で爆撃機を重視するようになった[18]

スペイン内戦1937年4月26日スペイン北部・バスク州小都市ゲルニカフランコ将軍を支援するナチスコンドル軍団によって空爆(ゲルニカ空襲)を受けた。これは焼夷弾が本格的に使用された最初の空襲となり、世界初の無差別爆撃でもあった。日中戦争では、1937年8月に日本軍による渡洋爆撃が行われ、1938年-1943年まで継続的に重慶爆撃も行われた。
第二次世界大戦ドイツ軍によるロンドン空襲1941年アメリカイギリス軍による空襲後のハンブルク1944年または1945年撮影)

1939年に第二次世界大戦が開始すると、イギリス空軍参謀部が「いまや作戦の目標は敵の非戦闘員、特に工場労働者の戦意に集中されるべきである」とするなど、この時期イギリス空軍関係者の多くは敵都市の物理的破壊が勝利のカギという思想を共有するようになった。1942年3月から焼夷弾を中心とする都市破壊爆撃の実験をドイツのリューベックロストックに対して行い、ドイツも報復として1942年4月からベデカー爆撃を行った[19]。しかし、爆撃機軍団司令官アーサー・ハリスはさらに野心的な空爆を計画した。単一の都市に一時間半にわたり1000機もの爆撃機をなだれこませ、都市防衛―対空砲火だけでなく消防や救護活動をも無力化し、爆弾と焼夷弾を集中して焼き払うというアイデアである。飛行機には容量の許す最大限の焼夷弾を積み、2400メートルの高度から落とす。発生する火災現場に後から駆けつける消防夫をその時点で殺傷するために遅発性の信管をつけた11キロ爆弾を混ぜるなどの発想が試みられた[20]

1943年8月27日、米陸軍航空軍司令官ヘンリー・アーノルドは日本敗北のための空戦計画を提出し、日本都市の産業地域への大規模で継続的な爆撃を主張した。その中で焼夷弾の使用に関しても言及していた[21]第二次世界大戦末期の1945年、アメリカドレスデン爆撃で無差別爆撃を行い、日本本土空襲では精密爆撃から無差別爆撃まで焼夷弾の使用も含む爆撃を継続的に実施した[22]他、バンコク空襲など、アジアの枢軸国タイ王国においても200回以上の空襲が実施された。アーノルドは終戦をキーワードに空襲を人道的な攻撃として説いていた。国防総省首席研究官ジョン・ヒューストンによれば、「アーノルドにとって東京空襲自体は重要なことではなく、空爆がいかに戦争終結に役立ったかを見せつけることが重要で、理由は独立空軍の悲願を達成するためにB-29の活躍で戦争を終結させたかったからだ」と指摘している[23]原子爆弾投下を目的とした第509混成部隊は、原爆投下で行う予定の単機による高空からの一発の爆弾投下を日本人に慣れさせるため、7月20日の東京空襲を初めとして、原爆投下予定地となっていた広島京都小倉以外で自由に爆撃することを許された[24]。そして8月6日に広島市、8月9日に長崎市で原爆を投下し、世界史上初の核兵器による爆撃が実施された。

アメリカ軍によるトラック島空襲(1944年)

日本海軍急降下爆撃機九九式艦上爆撃機

大戦以降1951年頃、米軍B26爆撃機の攻撃を受ける元山港。朝鮮戦争

1950年6月に始まった朝鮮戦争において、米空軍はB-29による絨毯爆撃を実施した。

1962年から1971年にかけてベトナム戦争において米空軍はベトコンが潜む森林を失わせ、同時に食料を奪う目的でベトナム共和国の農村部に枯葉剤を散布するランチハンド作戦を実施している。

巡航ミサイルの開発により、航空機による攻撃だけではなくミサイルによる攻撃も多用される。特に開戦第一撃においては敵の防空システムが稼動している中での作戦となるため、味方の損害を極小化するために巡航ミサイル攻撃が多用される。その段階においての主要攻撃目標は後に続く航空機による損害を減少させるために、まず敵防空システムの破壊および組織的抵抗力を減少させるための指揮通信系統の破壊となる。

一部では、無人機を使用した空襲も行われるようになっている。

戦争における航空機の比重は高まる一方である。また、低強度紛争への介入においても、航空攻撃は自軍の犠牲や負担を少なくして相手にダメージを与える方法として、多用される傾向がある。戦略爆撃としての性格もあるが、旧来のような無差別爆撃は世界の世論から批判を浴びることが多くなり、また、正確に特定の地点を爆撃できるようになったことから、第二次世界大戦で実施されたような無差別爆撃は行われなくなった。

航空攻撃は、各国の安全保障上、陸戦海戦を決定的に左右し、優勢に戦局を運ぶことができるため、最も重要な作戦のひとつに位置づけられている。爆撃機を保有することは先制攻撃能力を持つこととして、日本などのような専守防衛の方針をとる国は保有していない[注釈 1]。現在の防衛政策としては、敵地攻撃は専ら日米安全保障条約に基づく米軍の役目と位置づけられているので、自衛隊のその能力は限られている。
有名な空襲コバニのISIL拠点の空爆。コバニ包囲戦(2014年10月22日)

ゲルニカ爆撃(1937年)

重慶爆撃(1938 - 1941年)

バトル・オブ・ブリテン(1940 - 41年)

タラント空襲(1940年)

真珠湾攻撃(1941年)

ドーリットル空襲(1942年)

タイダルウェーブ作戦(1943年)

チャスタイズ作戦(1943年)

ハンブルク空襲(1943年)

ドレスデン爆撃(1944年)

東京大空襲(1944 - 45年)

ラインバッカー作戦(1972年)


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