空耳アワー
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脚注・出典[脚注の使い方]^ 空耳 - weblio辞書(大辞林
^ goo辞書(デジタル大辞泉)の「空耳」の項では、空耳アワーで言う「空耳」の特徴と合致する「外国語の歌詞などを日本語に聞きなすことを空耳ということもある」という補説を載せている。
^ 日本音響学会著、1996年講談社刊「音のなんでも小事典」より。
^ 上坂冬子著、1989年中央公論社刊「女が振り返る昭和の歴史」より。
^ 英語フランス語ドイツ語、アフリカ系の言語など。中国語韓国語タイ語など、アジア系の言語の歌詞の曲が採用されることは少ない。日本語の曲では、内村光良が投稿した越中おわら節からの空耳が採用された例がある。また『空耳アワー』となった初回放送の2ネタ目は、キャロルの『ヘイ・タクシー』(歌詞の"diamond-ring"が「タモリ」に聞こえるもの)だった。採用された曲のアーティストのほとんどは日本国外出身だが、小野リサゴダイゴcobaOutrage等のように日本人アーティストの楽曲が採用された例もある。
^ 『タモリ倶楽部』3月で終了、「空耳アワー」が隅に追いやられたワケは…|日刊サイゾー
^ “タモリ倶楽部「空耳アワー」が一時休止 新型コロナウイルスの感染拡大が影響?”. 中日スポーツ. (2020年4月11日). https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/entertainment/news/CK2020041102100008.html 2020年4月11日閲覧。 
^ “タモリ倶楽部の空耳アワー休止、新コーナー立ち上げ - 芸能 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社 (2020年4月11日). 2020年4月11日閲覧。
^ “『タモリ倶楽部』空耳アワーが半年ぶりに復活、松たか子と星野源出演”. barks.jp. BARKS (2020年10月23日). 2020年10月23日閲覧。
^ 第1回目登場時はテーマミュージック評論家。
^ 以前は「○○○○の(その回の本編の内容にからめた修飾語をつける)安斎肇さんです」と言っていた。
^ 過去にはペンネームの使用も可能だったが、現在は禁止され本名のみとなっている。ただし、著名人の場合はこの限りでなく、住所や本名が出ない場合もある。
^ 民謡など原詞が特殊な言語の場合は「不明」と表記されることもある。
^ 画面の下半分に表示される。
^ 「2005年空耳アワード」前編より。
^ 2006年6月10日に放送予定だった「かしこく乗りこなせ!首都圏日帰りエレベーターガイド!!」では、安斎が仕事の都合で来れなかった。
^ “空耳アワーにWeb投稿してみた”. ITmedia NEWS. 2019年2月8日閲覧。
^ “『空耳アワー』“完パケ”動画での投稿解禁 働き方改革に伴う「業務の外部委託」”. ORICON NEWS (oricon ME inc.). (2019年11月11日). https://www.oricon.co.jp/news/2148433/amp/ 2019年12月10日閲覧。 
^ 1994年3月18日には同じ部分の別空耳「手がスゴイ!」が紹介されていた。
^ 当時16歳だったので、23時台の放送という関係もあり、労働基準法および児童福祉法に抵触する為事前収録。
^ 木村カエラ、NIGOが「空耳アワード2008」に参戦 - ナタリー、2008年3月5日
^ ただし、尺の都合上10年代の空耳は事実上の対象外となっている。
^ 番組内では触れられていなかったが過去に安斎がBOWWOW時代のアルバム『HARD DOG』(1981年)のジャケットデザインを手掛けていたことがある。
^ “ ⇒空耳アワーアップデート - 過去の作品データ”. 2010年4月9日閲覧。
^ 紙コップや豆菓子、ただの石など。
^ 例として、空耳として投稿された楽曲の該当部分が、元々日本語であり、それがまた別の日本語に聴こえた作品がある。この投稿については、賞品の進呈はされていない。
^ 放送時にスタッフが評価を忘れていた旨をテロップで表示した。
^ 2017年6月2日放送2作品目『あんた舐めろ もういいの? あんた舐めろ あんた舐めろ バニラあんた舐めろ』など(ジャンパー評価)。
^ 2002年10月11日放送回など。
^ “『ブラタモリ』案内人が語る番組の裏側「タモリさんが『コマネチ!』していました(笑)」”. SmartFLASH (光文社). (2021年5月1日). https://smart-flash.jp/entame/180285/ 2022年6月9日閲覧。 
^ ただし、ヤサカモデルの場合は、左右どちらかでも同じミミかきとして判断となるため、届くまでわからない。
^ しかしながら、最もジャンパーが多く進呈された年は1993年であり、計14作品に進呈されていた。
^ この回の「空耳アワー」では、テスト的な意味合いも兼ね1作品ごとオブジェを1つずつ交換して作品を鑑賞した。
^ 使用当初は、Tシャツを引き出しに無理やり押し込んでいたためタモリや安斎から弁当Tシャツと呼ばれていたが、2012年5月25日放送分の「空耳アワード2012 後編」でドイトより写真にするという解決策を打ち出され、以降はTシャツの写真が入れられている。
^ ただし、タモリや安斎は、前に乗り出さないと見えない。
^ というものだが製作の際、タモリがLEDを両面テープでしっかり付けようと強く貼り付けたため、LEDの一部が潰れてしまいその部分だけが点灯しなくなってしまった。しばらくその状態で使用されたが、2012年5月25日放送分の「空耳アワード2012 後編」にて再びヤサカのエキスパートに来てもらいLEDが修理された。
^ 例として「篠原酒店」、「マジで、おでん食ったし」など。後にアワードにて、前者はZeebraが「これ民放でかけていいんですかね?」、クリス・ペプラーが「これはなかなか言えないですね」とコメント、後者はマーティ・フリードマンが「よく平気で放送できますね」「(和訳を聞かれて)言いたくないですよ」と発言している。
^ 例として、1993年12月17日放送分の3番目の空耳で、「クリトリス」という言葉が含まれていたが、VTRでは「クリリス」が登場した。
^ 頻繁に出演していた当番組の元ディレクターの山元豊洋(ハウフルス)や、当番組のカメラマン中島せいやは「空耳アワード」でも取り上げられたことがある。
^ VTRの収録時は原曲もかからず、安斎本人もスタッフに「ここに立ってこのようなポーズをしてくれ」としか言われず、趣旨を全く伝えられなかったため、作品の内容は放送時まで本人も知らなかった。
^ 1993年4月9日放送の「空耳アワー 春の新作コレクション」にて6本目に紹介。野村義男の作品。
^ 1999年7月2日放送分において、2番目の空耳として紹介。パラダイス山元による作品
^ 1992年7月3日放送分(「空耳アワー」としては第1回)において、2番目の空耳として紹介。
^ 1999年10月22日放送分において、2番目の空耳として紹介。
^ミュージックステーションウルトラFES』で使用されたもの。2016年10月21日放送分において、2番目の空耳として紹介。
^ 例として、1993年9月3日放送分の三本目を奥田民生と空耳俳優で新たに撮り直したものに差し替えた上で「空耳アワード2001」にて放送。
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