空手
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2016年8月3日(日本時間4日)、リオデジャネイロで開かれた国際オリンピック委員会総会で2020年東京オリンピックの追加種目の一つとして空手道が承認された[54]
沖縄空手

沖縄に本拠をおく空手流派である。スポーツ化の傾向にある本土空手と距離をおく意味で、「沖縄空手」が本来の伝統武道空手として用いられる場合も多い。本土の流派が主導する全空連が指定形から沖縄の形を排除したことに反発して、沖縄は本土と距離を置くようになった。しかし、沖縄県空手道連盟のように全空連に加盟している組織もある。

沖縄空手の特徴としては、伝統的な型稽古や鍛錬法を重視している。組手は、本土よりも遅れていたが近年は全空連式の寸止め方式が逆輸入されて盛んになっている。以前は防具組手も行われていた。ほかに武器術や取手術の併伝などを挙げることができる。しかし、沖縄空手も糸洲安恒以降近代化しており、また本土からの影響もあって、琉球王国時代そのままというわけではない。明治以降、東恩納寛量や宮城長順による那覇手の改革、新たに中国からもたらされた上地流等の普及により、琉球王国時代の特徴をそのまま継承する流派はむしろ少数になっている。湖城流のように戦後県外に流出した古流流派も存在する。しかし、少数の道場では、今日でも古くから伝えられた技や稽古法の保存に努めている。近年では沖縄県自体も空手の発祥地を意識して、「沖縄空手」の国際的な宣伝に力を入れている。

沖縄空手の流派には、三大流派として剛柔流上地流小林流があり、他に糸東流、沖縄拳法、少林流、少林寺流、松林流、本部御殿手、沖縄剛柔流、沖縄松源流、劉衛流、金硬流などがある。本土の空手会派とは組織形態が異なり、多くの沖縄空手会派、流派は単独組織を維持し、本土より世界各国に、より数多くの支部道場を持ち、世界的な大きな広がりがある。
フルコンタクト空手

直接打撃制ルールを採用する会派。開祖となった極真空手がもっとも有名であるが、広義には以下のものも含まれる。そもそも直接打撃制ルール自体は寸止めルールよりもはるかに歴史は古い。詳しくは、フルコンタクト空手を参照。
狭義のフルコンタクト空手(極真カラテなど)

極真会館とその分派の多くに代表される「手技による顔面攻撃以外」の直接打撃制ルールを採用する会派のことを指す。しかし、近年では国際FSA拳真館極真館など一部の試合で手技による顔面への直接打撃を認める会派も増えている。また、最近は幼年部・少年部・壮年部の人口が増加しているため、上級者以外ではヘッドギアやサポーターをつけることが多くなっている。極真会館の分派以外には伝統派空手の分派や、少林寺拳法の分派である白蓮会館、日本傳拳法の流れを汲む士衛塾、国際FSA拳真館などがある。2013年(平成25年)には、新極真会緑健児JKJOの渡辺正彦の呼びかけで、全日本フルコンタクト空手道連盟(JFKO)が発足。いわゆる直接打撃制ルールを採用するフルコンタクト空手諸団体の統括組織と位置付けられている。そして2014年(平成26年)5月、直接打撃制(フルコンタクト)ルールを採用するフルコンタクト空手界で初の統一大会(JFKO主催による第1回全日本フルコンタクト空手道選手権大会)が大阪市中央体育館で開催された[55]
アメリカのフルコンタクト空手

フルコンタクト空手のもともとの意味は、アメリカで始められたキックボクシング的なプロ空手のことである[56][57][注 2]。ボクシングとの差異を計るため、1ラウンド毎に対戦相手の腰より上へのキックを8本以上蹴らなくてはならないルールが特徴的。参加選手の出身流派は、沖縄や日本の空手諸流派だけでなく、韓国のテコンドーやアメリカなど欧米諸国で誕生した新興流派の出身者も多い。現在はキックボクシングの一種として“フルコンタクト・キックボクシング”という呼び名で、競技として成熟しつつある。
総合空手(格闘空手、バーリトゥード空手)

打撃のみならず、投技や寝技なども取り入れ、いわゆる総合格闘技に近い形での試合を行う会派を指す。代表的な会派は、一切の防具着用をせず、また一部で素手の拳による顔面攻撃を認めた試合を行うため、もっとも過激なルールと言われる真武館などや、空道の分派である空手道禅道会などが挙げられる。
POINT&KOルール空手

極真空手に代表されるフルコンタクトスタイルに加えて、相手が防御できない状態で正確な蹴りが入った場合、ダメージの大きさにかかわらず技術点としてポイントを与え、技術的優劣を明確にするPOINT&KOルールで試合をする会派である。胸部への突きとローキックを主体とするスタイルを改め、伝統空手のスピードとフルコンタクト空手の破壊力を取り入れている。主な会派として佐藤塾寛水流空手などがある。
防具付き空手

防具をつけて試合をする空手競技のことである。組手競技ルールとしては元々寸止め空手やフルコンタクト空手よりも歴史が古く、空手界で最初の全国大会である全国空手道選手権大会も防具付きルールで行われていた。錬武会錬心舘など伝統派空手の一部が長年掛けてルールと防具を改良し完成させた。詳しくは、防具付き空手を参照。
伝統的な防具付き空手

防具着用の競技形式は戦前より研究され、東京大学の唐手研究会、大阪の摩文仁賢和立命館大学の山口剛玄、剛柔流宮城長順等がそれぞれで防具の使用を試みていた。また沖縄でも一時期は防具着用による試合が沖縄拳法(中村茂)の名称で行われていた。その中で制度として定着したのは戦後の武道禁止令の中、剣道の防具着用による金城裕が主導した韓武舘の防具付き空手だった。韓武舘は遠山寛賢の無流派主義を受け継ぐ道場で後に全日本空手道連盟(旧)に発展。後に四大流派等とともに現在の公益財団法人全日本空手道連盟を発足させ、全空連の協力団体として防具付き空手を統括する全日本空手道連盟錬武会となった。同様に伝統的な防具付き空手団体としては全日本少林寺流空手道連盟錬心舘、千唐会等があり、いずれも広義の伝統派空手に含む場合もある。錬武会は無流派主義で全空連の防具付き空手統括団体として他流派をルーツとする団体の加盟も認めている連盟であるが、錬心舘と千唐会は一流一派の会派団体となっている。いずれも、伝統的な動作や引き手を重視する一本勝負で試合を行い、錬武会と錬心舘は「技あり」に相当な打撃強度が求められる。また、錬心舘は蹴り技に特化しており、独特の回し蹴りが発達している。
硬式空手

硬式空手は久高正之がプラスチック製の防具スーパーセーフを開発した事にはじまり、1981年(昭和56年)、錬武舘東京本部や拳行館、日本正武館、剛武舘を中心に、錬武会から分かれて作られた競技形式である。錬武会の一本勝負と異なり、「止め」までに時間をとってその間の攻防の中で当たった技を全て加点する、連打推奨の加点方式を採用している事が最大の特徴である。また名称は当時すでに主流であった寸止めルールを「軟式」として認識し、それに対抗する形で名づけられた。現在、硬式空手を行う団体は著作権等もあり全日本硬式空手道連盟のみであるが、2派に分裂していてそれぞれ千葉派久高派と呼ばれ、両者の間には若干のルールの違いがある。連打推奨のため、伝統的な動作には錬武会や錬心舘ほど重きを置いていない。
セーフティー空手、防具空手

全日本セーフティー空手道連盟は硬式空手から分裂し、テコンドー団体と交流しながら蹴り技を主体とした組手競技を行う団体として発足した。また、同様の団体として平成に入ってから、全日本格斗打撃連盟、日本防具空手道連盟、全国防具空手道連盟などが相次いで発足した。安全性に配慮し、打撃強度は比較的軽くてもとり、当てること重視で動作も伝統派空手とは異なる。これらの団体は「防具付き空手」ではなく「防具空手」と名乗る傾向がある。キックボクシング新空手等とも交流がある。
広義の防具付き空手

全日本空手道連盟ルールにおいても、安全具としてメンホーという防具を装着する場合がある。ただし、これらはあくまで「寸止め」が前提であって直接打撃を前提とする上記の団体とは異なる。また、フルコンタクト空手団体にも、顔面に防具を着用する部門を設ける場合があるが、基本的にはフルコンタクトルールなのでダメージ制であり、手技による顔面への攻撃は認められていないことが多い。しかし近年では、極真空手を出所とする団体間で顔、胴、脛、拳等に防具を着用し、突き(顔面への直突きのみ寸止めで認められる)・蹴り(下段蹴りは禁止)の攻撃をポイント制とするセミコンタクトルールが導入されている[58][59]


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