1月7日には、広島市東区の國前寺では彼を祭る「稲生祭」が開かれている。また、三次市三次町の屋敷跡には、稲生武太夫の碑が建てられている。
國前寺本堂裏手の一画の、墓碑群の中の五輪塔の一つが、武太夫の墓である。
稲生物怪録詳細は「稲生物怪録」を参照
稲生平太郎16歳の時、寛延2年(1749年)の5月末の夕方、隣家の三ッ井権八とともに、比熊山で肝試しの百物語をしたことがきっかけで、7月1日から30日間のうちに、彼らの身の回りで怪異現象が続出した。このときの彼の体験は、『三次実録物語』という書として記され、原本は広島藩在住の稲生武太夫の子孫に伝えられてきている。妖怪の親玉、山本太郎左衛門から貰った木槌は享和2年(1802年)に平太郎の手により國前寺に納められ、現存している。
また、柏正甫(かつら せいほ)という武太夫の同役の武士が、夜を徹して本人から詳しい話を聞き出して、天明3年(1783年)、『稲生物怪録』として書き留めた。これを国学者、平田篤胤が寛政11年(1799年)に筆写して秘蔵し、文化8年(1811年)に門下生に校訂させた。篤胤の校訂本が元になって、読物や絵巻となり、明治以降、泉鏡花や巖谷小波の小説、折口信夫の俄狂言の題材となった。また、稲垣足穂によって、現代語訳されたりもした。
稲生武太夫を祭っている稲生神社(広島市南区)には、荒俣宏や京極夏彦・水木しげるも作品取材のために足を運んでいる。
脚注[脚注の使い方]^ 『三百藩家臣人名事典』第6巻、新人物往来社、1989年
^ 『稲生物怪録』巻の上「稲生平太郎出生の事 并三津井権八が事」より
^ 『稲生物怪録絵巻詞書』(堀田家本)より
参考文献
『稲生物怪録絵巻?江戸妖怪図録?』、編者:谷川健一、小学館、1994年。
関連項目
浅野宗恒
比熊山城
三次市
布野村 - 三ッ井権八の出身地
外部リンク
稲生 正令:作家別作品リスト - 青空文庫
⇒日本伝承大鑑 國前寺 稲生武太夫の墓