市名より。アイヌ語の「ヤ.mw-parser-output .jis2004font{font-family:"源ノ角ゴシック JP Normal","源ノ角ゴシック JP","Source Han Sans Normal","Source Han Sans","NotoSansJP-DemiLight","Noto Sans CJK JP DemiLight","ヒラギノ角ゴ ProN W3","ヒラギノ角ゴ ProN","Hiragino Kaku Gothic ProN","メイリオ",Meiryo,"新ゴ Pr6N R","A-OTF 新ゴ Pr6N R","小塚ゴシック Pr6N M","IPAexゴシック","Takaoゴシック","XANO明朝U32","XANO明朝","和田研中丸ゴシック2004絵文字","和田研中丸ゴシック2004ARIB","和田研中丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシック2004絵文字","和田研細丸ゴシック2004ARIB","和田研細丸ゴシック2004P4","和田研細丸ゴシックProN",YOzFont04,"IPA Pゴシック","Yu Gothic UI","Meiryo UI","MS Pゴシック";font-feature-settings:"jp04"1}?ワッカナイ(ラテン翻字: yam-wakka-nay)」〔冷たい・水(飲み水)の・川〕から[26]。
駅構造駅が入居する複合施設については「キタカラ」を参照
以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年(平成22年)1月30日をもって2番線を廃止し、線路や分岐器、出発信号機、場内信号機が撤去され、棒線化及び停留所化した(現駅舎開業以前は構内踏切(警報機のみ)も設置していた)。これに伴い、南稚内駅から当駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上の進入ができなくなった。また、以前の日本最北端の線路として使用していた車止めとレールが、JR北海道から稚内市に寄贈され、駅前広場上のモニュメント「日本最北端の線路」として2012年(平成24年)3月に復元されている。
改札口からホームへ向かう通路はスロープになっており、バリアフリー化している。社員配置駅(現在は南稚内駅の被管理駅)。改札口横にみどりの窓口、自動券売機、指定席券売機(クレジットカード専用)[27]、待合室がある。
なお、当駅は稚内市が整備した複合施設「キタカラ(KITAcolor)」内に入居しているが、「キタカラ」は駅のほかバスターミナル(稚内駅前バスターミナル)、売店や飲食店、コンビニエンスストア、観光協会、地域交流センター、映画館、グループホーム、高齢者住宅を備えた複合施設であり[28]、「道の駅わっかない」として道の駅の指定を受けているほか、稚内港国際・国内フェリーターミナルなどと合わせて「みなとオアシスわっかない」の指定も受けている[29]。 かつては稚泊連絡船への接続などを考慮した広大な構内に複雑な配線を施していた。しかし、貨物営業の廃止などにより側線は縮小していき、旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在は分岐器がない駅になった。 1975年3月時点の稚内駅配線図 ← 乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。 また、「稚内市統計書」を基とする値については窓口乗車券発売人員のみの値であり、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。 年度乗車人員(人)出典備考
駅舎内(2015年4月)
「最北端の線路」看板(2014年4月)
改札口(2017年10月)
ホーム(2017年10月)
駅名標と稚内市と枕崎市が友好都市となって1周年となったことを記念するプレート。
車止め(宗谷本線の終端)
(2017年10月)
復元した「日本最北端の線路」(2012年6月)
キタカラ(KITAcolor)外観(2012年7月)
かつての配線図
旭川方
凡例
出典:[30]
利用状況
年間1日平均JR調査
1935年(昭和10年)71,776(196.1)[* 2]
1949年(昭和24年)308,210(844.4)
1968年(昭和43年)433,355(1,187.2)[31]